2014年7月6日日曜日

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My Way-Frank Sinatra arranged by Don Costa
晩年のシナトラのヒット曲としてコンサートの最後に
必ず歌われる此の曲の原曲、実はシャンソン歌手
あのポール・アンカがシナトラ用に
英語の詞を付けたものとは全く趣を異にする詞の内容だ。
それがポールの詞で、世界中に広まってしまった。
それだけシナトラに此の詞が合っていたと云う事。
それもそのはず、ポール・アンカがフロリダで
シナトラと一緒に食事をした時の
シナトラの”つぶやき”をそのまま思い出して
書いたと云うエピソード。
当時、歌うのに疲れていたシナトラの心境がありのまま
出ていたと云う訳で、まあ”つぶやき”と云うより
後輩のポール・アンカに、ぼやいたというカンジ。
でも、疲れていたシナトラも此の曲のヒットで
息を吹き返したのだから面白い。
そのシナトラお抱えのアレンジャーBEST-3に入る
今日のアレンジャー、ドン・コスタだが
ドンはドミニクの愛称、イタリア系アメリカ人。
ギタリストとして活躍した後、アレンジャーとして頭角を現した。
先にポール・アンカの「ダイアナ」の編曲をした縁か?
彼がシナトラに頼まれてアレンジしたのが今日の1曲。
ゆっくりしたテンポはシナトラの人生そのものを感じさせ
後半のドラマチックな盛り上げは、俳優でもあった
シナトラの演技力いや歌唱力を見事に引き出している。
此の曲、カバーされた回数の多い事は
ビートルズの「イエスタデイ」に続く2位。
日本でも美空ひばりや藤圭子までカヴァーしているが
やはり此の曲はシナトラが最高だ。
それでもロビン・ウィリアムスの此れには笑った。

2014年7月5日土曜日

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Good-Bye-Frank Sinatra with Nelson Riddle Orchestra
そんな訳で今日から
”シナトラとアレンジャーの組み合わせ”のシリーズ。
此の曲はシナトラのお抱えアレンジャーの1人
であったゴードン・ジェンキンスの作曲。
あのベニー・グッドマン楽団のクロージング・テーマ
として有名だが
でも此のシナトラ用の編曲はネルソン・リドルの手によるもの。
名曲が名アレンジで復活した背景には
シナトラは女優のエヴァ・ガードナーと破局、離婚直後
ネルソン・リドルは実の母と娘を亡くしたばかり
どちらも”Good-Bye=さよなら”の気持ちが高まっていた
との記載が残って居る、切ない話だ。

ネルソン・リドルについて、もう少し・・・。
ラテン音楽のレス・バクスターのアレンジとなっているが
実際は、そこに在籍していたネルソンの編曲
それを知っていたナッキンコールが、その後
自分の曲のアレンジに、彼を抜擢したのは隠れたエピソード。
彼はトランペッター出身なので軽快なリズムも得意とし
シナトラの映画音楽にも多数参加している。
「オーシャンと11人の仲間」「ナイスガイ・ニューヨーク」等
オードリー・ヘップバーンには「パリで一緒に」
TVシリーズ「バットマン」のテーマはお馴染みだ。
それでも彼の得意とするのはスタンダード・ジャズのアレンジ
ロバート・レッドフォード主演の「華麗なるギャツビー」では


”深川めし”
本当の”深川めし”は
アサリを酒・醤油で煮て、そのダシ汁で御飯を炊き
その上に身を載せたものだ。
近年は味噌汁を御飯にかけただけのものも
”深川めし”と呼ばれる・・・まあ、手抜きもイイところだ。
でも前日の朝ご飯のアサリの味噌汁の”兄貴”を
温め直している内に、その誘惑に駆られた。
御飯も冷凍だし・・・この際やってみるか?と。
それ程、大げさな物ではないが
ワケギを刻んで載せる位はしてみる。
結果は?結構イケるんでないの。
此れからアサリの味噌汁は多めに作り
翌朝は此れだな(笑)

ちなみに、ものの本に因れば昔はアサリではなく
深川近辺で大量に採れたアオヤギを使っていたそうな。
そして下層階級の人の食べ物だったと。
ふん下層階級で悪うござんしたね。

2014年7月4日金曜日

アメリカン・ビューティー(1999)
先の「ラスベガスをぶっつぶせ」で
俳優ケヴィン・スペイシーの存在感を見せつけられたが
彼がアカデミー主演賞を取った此の作品を見逃していた。
イギリスの監督サム・メンデスのデビュー作。
「真夜中のカウボーイ」の監督ジョン・シュレジンジャーしかり
「ハイ・フィデリティ」のスティーブン・フリアーズしかり
外から来た英国の監督がアメリカ社会を撮ると
超辛口の米国文明批評映画が出来るのが面白い。
此れも例外ではなく全く新しい切り口のホーム・ドラマだ。

話は飛ぶが、その昔、寺山修司が主宰していた
劇団・天井桟敷の団員に彼が「何処でも良いから1家族を
徹底的に観察し、そのレポートを提出せよ!」
という宿題を出したという。
必ず、見かけとは違う部分が、
どの家族にも有るはずだからと・・・。
”日常性の中に潜む非日常的なるもの”
それこそ劇的なるものと劇団員に教えたかったのだろう。
(まあ、覗かれた家庭はエライ迷惑な話だろうが)
しかし此れで最初に警察に”のぞき”現行犯で捕まったのは
寺山修司、本人だった(笑)

此の映画は、それと同じ”のぞき”から見えて来る
日常性の中に潜む狂気を描いたもの。
一見、普通に見える高級住宅地の隣りの家を
密かにヴィデオで撮影している変質的青年が狂言回し。
そのカメラに写ったのは
ケビン・スペイシー演じるエリート会社員と
アネット・ベニング演じる不動産業を営む妻に、若い1人娘。
倦怠期の夫婦と反抗期の娘の会話の無い家庭は
何処にでも良く有る風景、それでも、それぞれ幸せなのだと。
その娘の同級生に、ある日ケビン・スペイシーが一目惚れした。
それまでのヤル気のない彼の人生が突然バラ色に染まる。
題名の”アメリカン・ビューティー”とは、此のバラの品種名。
その彼女を妄想で深紅のバラの風呂に入れるケビン。
その娘の同級生役ミーナ・スバーリの”ロリータ”ぶりも見事。
画面を圧倒する紅いバラの洪水を象徴的に見せる演出は
ラストの惨劇、血の紅さへの伏線だろう。
とにかくケビン・スペイシーの演技が凄い。
最近は演技過剰の嫌いの有る彼だが、此れでは
自然な表情を監督サム・メンデスに上手に引き出されている。
だから、その年のアカデミー賞は
監督賞、主演賞、脚本賞、撮影賞と総なめ。
何と云ってもアラン・ポールの脚本の出来が良い。
緻密に組み立てられたオリジナル・シナリオは
妻の不倫、そして覗きカメラ青年の娘との恋へと発展。
その青年の父を怪優クリス・クーパーが演じ
極右軍人ながら秘密を持ち、息子を執拗に厳格に扱う。
彼等の関係は先に進むにつれ、どんどん縺れて絡み合い
幸せそうに映った二つの家庭は鏡が割れた様にバラバラ崩壊する。
まったく先の読めない脚本と演出に脱帽。
ホーム・ドラマが、サスペンス映画へと見事に変貌する。
でも只のサスペンス映画と違うのは
登場人物それぞれの夢や愛をキッチリ描いている処
だから終盤に向かって一気に畳み込まれ
暴発するエンディングに、どこか哀しみの余韻が漂う。
青年が撮った、一見何気ないビニール袋が
つむじ風に、ゆっくり舞う映像と
すべてのものから解放されて自由だ!と
慢心の笑みを浮かべて紅く血に染まるケビン・スペイシー。
文明の進んだ現代アメリカ社会ゆえの”歪み”を告発した
こんなネガティブな作品が、アカデミー賞と云うカタチで
正当に評価される国が不思議で成らない。

再現!栃木・焼そば
別に、そんなに拘っている訳では無いのだが
スーパーのおでんの材料売り場に
ピンクの渦巻き模様の鳴門を見た時
ふと思い出したのは”栃木・焼そば”。
そう我が故郷の今や名物と成っている焼そばは
ジャガイモが入っているのが特徴だ。
やれ栃木は貧乏だからボリュームを出す為に
こんな工夫をしていたとの説も有るが
栃木は”江戸の蔵”商人達は豊かで、あの歌麿を呼び、
浮世絵を描かせる程の豪商が多かった。
貧しかったのは戦後の食糧難と思われる。
それと北関東平野で豊富に採れるトマトを原料とした
ウースター・ソースを作る工場も多かったので
自然に焼そばが多く作られたのだろう。
まあ、それは良いとして鳴門の話に戻ろう。
私が好んだのは巴波(うずま)川の辺りに在った
「長栄軒」という食堂のそれ。
なんと、ご覧の様に鳴門を刻んで載せていた。
此れが子供心に華やかで美味しそうに見えたものだ。
巷のラーメン屋には、まだ鳴門を薄切りにして入れている店も在り
そんな店は大概「支那そば」か「中華そば」の看板が出ていて
凄く旨いか?不味いか?で、入るのに微妙な選択を迫られる。
まあ、けっして、それ自体旨い物ではないから
今時の人は、わざわざ鳴門を取出して食べない人も居る位。
とにかく“旨い”という味覚には
記憶の“懐かしさ”も含まれると云う事。
だから”おふくろの味”というのが皆好きなのだ。
それで昨日の昼、作った此の”栃木焼そば”だが
予想通り、そんなに旨いというものでは無かった(笑)。
<追記>
ネットで調べたら栃木に「長栄軒」はまだ存在しており
メニューに”焼そば”は有り、ジャガイモも入っていた。
しかし鳴門の代わりに平凡な紅生姜が載っていた。
色即是空、移ろい行く景色。



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Frank Sinatra - Laura
前回エラ・フィッツジェラルドの”Laura"がベスト!と
云ったばかりだが男性ヴォーカルでは最初に出した
ビリー・エクスタインと此のフランク・シナトラは甲乙付け難い。
まあ、ビリーが褐色のシナトラと呼ばれたくらいだから
本家のシナトラに軍配を上げよう。
シナトラは此の曲が気に入りアレンジャーを変えて
何度もレコーディングしている。
上のジャケットはゴードン・ジェンキンスのアレンジ。
名曲”Goodbye"を作曲したゴードンだけに
オーケストラ・アレンジがゴージャスだ。
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曲は同じだがアレンジャーはアクセル・ストーダル。
ゴードンとは又違う華麗で繊細な音作りを楽しめる。
シナトラほどアレンジャーを大事にした歌手は居ないと
云われるが、彼がジャズ・スタンダードの帝王として
君臨していたのは、そんな仕掛けが有ったのだね。

2014年7月3日木曜日

スティーブ・マックイーンSteve McQueen 19301980
まず、彼の生い立ちから話すと
彼をスターダムに押し上げた映画「大脱走」とは
別の「大脱走物語」が、そのまま出来てしまう。
インディアナポリスの曲芸飛行士の父と
家出娘との間に生まれた彼は両親の離婚後
母の再婚相手の都合で各地を転々し、その環境に
馴染めず14歳でカリフォルニアの少年院送り
好きで入った訳ではないから
当然、そこからの脱走は夢見ていたに違いない。
少年院から出た彼に、まともな仕事は有るはずも無く
17歳で海兵隊に入隊している。
後に「大脱走」「パピヨン」で脱走を演じたが
その海兵隊でも何度も兵舎からの脱走を試み
何れも失敗に終わっていたという。
だからオートバイでアルプスを越える「大脱走」の彼や
「パピヨン」で執拗に脱走を試み、そして挫折する悔しさの
演技にリアリティが有るのは当然と云える。

BSでやっていた「アクターズ・スタジオ・インタビュー」に
彼が出た記憶は無いが彼も、そこの出身だ。
1956年「傷だらけの栄光」にポール・ニューマンの悪友役で
映画デビュー、でも出演場面はたった5分程度。
その18年後「タワーリング・インフェルノ」のポスターで
2人が対等に扱われたのに、彼は感慨深いものが有ったろう。
1958年TV「拳銃無宿」に抜擢され
ライフルを短く改造した”ランダル銃”を使いこなす彼が
人気を呼び、TVから生まれたスターのハシリと成った。
クロサワの「七人の侍」をリメイクした「荒野の7人」は
ユル・ブリンナーを主役に、その頃TVで人気の出たスターを
並べたものであったが、此処でもマックイーンは
チャールズ・ブロンソン、ジェームス・コバーン、ロバート・ボーンを
押しのけ、際立っていて、果ては
主役のブリンナーを食う勢いであった。
此の映画の大ヒットの二番煎じで
やはりTVスターを競演させた「大脱走」でも彼は
クライマックスでスタント無しのオートバイ・アクションを見せ
名実共にハリウッド大スターの地位を掴んだ。
それでもラルフ・ネルソン監督の「雨の中の兵隊」
ロバート・マリガン監督の「マンハッタン物語」「ハイウェイ」と
地味だが秀作と云われる映画に出演しキャリアを重ね
「シンシナティ・キッド」「ネバダ・スミス」の後
ロバート・ワイズ監督の「砲艦サンパブロ」では
念願のアカデミー主演賞を取っている。
ノーマン・ジュイスン監督の「華麗なる賭け」では
彼のハングリーなイメージとは逆の
大富豪の銀行強盗役はミスキャストと思われたが、
それを追跡するフェイ・ダナウェイとの
大人の恋を絡めた緊張感がアカデミー受賞俳優同士の対決となり
まさに斬新な映像美の完全犯罪映画と成った。
またイギリス監督ピーター・イエーツの「ブリット」では
マックイーンのテスト・ドライバー並みの運転技術で
それまでにないスピード感の有るカー・チェイスと
寡黙な刑事像を造り上げ、此れ以降”刑事もの”の流れが
変わったと云われている。
そのドライブ・テクニック趣味を兼ねた
カー・レース映画「栄光のル・マン」
そしてバイオレンス映画の鬼才サム・ペキンパーと組んでは
まず比較的大人しい「ジュニア・ボナー」そして
ファンの期待に答えるかの様に「ゲッタウェイ」では
スローモーションを多用したアクション・シーンを見せ
共演したアリ・マッグローと恋に落ち、2度目の結婚。
そしてベストセラー小説の映画化「パピヨン」は
「ジョニーは戦場に行った」の脚本家ダルトン・トランボに
共演も名優ダスティ・ホフマンという、お膳立て
まさに脱走男の物語はマックイーンならではの作品だった。
しかし「トム・ホーン」撮影中に
海軍時代、作業中に吸ったアスベストが原因と思われる
中皮腫が発見され、それだけではなく
広瀬隆・著「ジョン・ウェインはなぜ死んだか?」にも
書かれている様に、ネバダ砂漠・核実験汚染地帯での
西部劇ロケを沢山していた彼は残留放射能を浴びて居り
その中皮腫を悪化させたと云われている。
遺作「ハンター」では犯罪者を追う、賞金稼ぎ役であったが
得意のスタントも出来ない程、衰弱していて
追うと云うより、その病に追われる立場であった。
それでも彼らしく不屈の精神で
何とか立ち直ろうと様々な、新しい治療を試み
メキシコの病院で手術後、心肺停止、50歳で死亡した。

様々な脱走を演じた彼も
病からは逃げ切れなかった訳である。
しかし映画「大脱走」で鉄条網に絡まり両手を上げながらも
ニヤリと笑う彼の”Never give up ”精神は
人々の心に永遠に生きている。
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