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2022年1月15日土曜日

 私のペルー旅行 その4(最終回)

そんな訳で1日チチカカ湖で休養したせいか

まだ頭痛はするものの私の身体は動けるようになった。

日本に戻る日も迫ってきたので、出発点の首都リマへと。

どこから飛行機に乗ったかは記憶に無いが

飛行場へ着いたら、何と私のトランクが戻っていると。

受付の話では成田で、ペルーのリマ行きが

アメリカのロサンゼルスへ運ばれてしまったらしい。

LIMLAに何で間違われるんだ?

トランクは鍵が壊されていたが、中身は無事だった。

それもそのはず中身は私の着替え用の普段着と下着に

マルちゃんの赤いキツネに緑のたぬきだけだったんだから。

ペルーで最後の1日は朝からそのキツネとたぬきを食べて

余った分は、そのお湯を捕込んでくれたボーイにあげて

近くのレコード屋でフォルクローレのカセットテープを買い

夜には又”セビーチェ”でビールを飲んで

私のペルー旅行は終わった。

それまで”頭痛”と言うものに縁の無かった私に、今でも

時々出るそれは、まだ”ナスカの白骨たち”の呪いが

解けていないように思える・・・。




2022年1月14日金曜日

 私のペルー旅行 その3

ペルー旅行の目的はフォルクローレを聴く事と、もう一つ
インカの古代遺跡マチュピチュへ行く事だった。
其処へはクスコから登山電車が出ていた。
朝早く駅に着くと世界中から集まった観光客が既に乗っていた。
断崖を縫う様に走る電車は遺跡のある麓まで
其処からはバスで頂上まで、日光の”いろは坂”の様に登り
着いたそこには嘘の様なパノラマが広がっていた。
此の時、私は初めて地球の反対側に来たと言う実感が湧き
しばし崖の上で雲の影が遺跡を通り過ぎるのを観ながら
それをスケッチしていた。

日が暮れる前にクスコに戻り、翌日は次なる目的地
チチカカ湖のある街プーノへと向かった。
此の移動はタクシーを使った記憶がある。
途中で機関銃を持った警官が強引に乗り込んできて
ずっと運転手と話していて
やはり此の国の治安は良くないらしいと気が付いた。

此処までは、クスコより標高の高いマチュピチュでも
平気だった私は、その夜ホテルの食事にビールを飲んで
風呂から出た途端、今までなった事のない頭痛が始まり
身体が金縛のように動かなくなった。
こりゃ”ナスカの白骨たち”の呪いか?と嫌な予感を思い出したり
待てよ、此れは標高の高いとこでなると言う”高山病”というやつか?
私の部屋はホテルの3階、立てないので四つん這いになり
階段を少しづつ下り、フロントへ。
カウンターに人がいたので
”ハイ・アベレージ・シック”と頭を指して伝えたら
そいつはごく当たり前の様に奥に入って
小型の酸素ボンベを私に与え口で吸えと
私は山登り経験が無いから高山病は初体験。
どうすりゃ良いのか分からんが、口に吸い口を当て
スーハー深呼吸していたら、だいぶ楽になってきた。
それでも身体は重く頭はズキズキ、一晩中まんじりともせず
チチカカ湖の夜明けを見た。
予定では、その日はボートで湖を渡り、浮島の湖上生活民族を
見学して、ボリビア側に渡るツアーに参加するつもりだったがキャンセル
チチカカ湖が見渡せる部屋で一日中、左から右へ
陽が沈むまでボーッと寝て過ごした。
それまでの人生で、これ程、身体を動かさなかった日は
無かったように思う。







私のペルー旅行 その2

前回クスコに、どうやって行ったか記憶ないと書いたが
ペルーに来たなら”ナスカの地上絵”を観なくてはと
日帰り観光のセスナ機に乗っていたのを思い出した。
日帰りツアーのセスナ機でリマから出発
果たして其処は砂漠の真ん中、オンボロ飛行場
オマケにガイドが、サービスと古代の墓場まで案内した。
墓場と言っても墓標などほとんど建っていなく
剥き出しの白骨が無造作に置かれていてゾッとした。
それから地上を飛び立ったセスナ機から観たナスカの地上絵は
想像したものとは、だいぶ違う小さなものばかり。
これなら小学生がグランドに簡単に作れる
私が勝手にイメージを大きく膨らませていたんだ。
そりより、剥き出しの白骨たちに
此れから先の旅のイヤーな予感を感じた。

そんな訳でクスコに着いたものトランクが無いから、
下着も何も着替えが出来ない。
ペルーは南半球、此の時期は真夏・・・といえども
クスコは富士山よりも高い標高3400mの街。
夜になると冷えるからと下着を買いに街に出る。
その頃のペルーは”危険な国”に入っていた。
だから日本人観光客が少なかったのだ。
日本の旅行会社の人がくれぐれも気を付けてと言ってた。
そんな事も忘れて賑やかな大通りより
裏通り方が普段着は見つかり易いと
インカ帝国が築き上げた石造りの高い塀に沿って歩くと
観光用でないよろず屋みたいな店があった。
これも今思えばだが、航空会社に請求すれば
保険が下りた筈なのだが、手持ちの現金でやりくりしようと
安い下着やトレーナーを揃えた。
ずっと同じ服を着ていたから体が匂う様な気がしてね。
それと、当時出たばかりのヴィデオカメラHi-8はトランクに
入れたままだったから、何か旅を記録するものが欲しいと
スケッチブックと色鉛筆を買った。
まあ、これがその後、コンテ以外に描く事のなかった
絵を描く楽しみを私に目覚めさせるきっかけとなった。
流石にフォルクローレの本場の街クスコは、どのレストランも
バンドが入り、街中フォルクローレだらけで
土着的な、それを期待した私の耳には皆同じ様に聴こえた。
レストランのメニューは良く分からなかったが
”セビーチェ”という魚の刺身と玉葱のスライスにレモンを絞ったやつが
気に入って、その後もずっとそれとビールばかり飲んでいた。

2022年1月13日木曜日

私のペルー旅行 その1

もう、だいぶ前だがフォルクローレを生で聴きたいと
暮れから正月休みを利用して、一人でペルーへ行った。
ところが首都リマに着いたのが、ほぼ真夜中。
空港の荷物受け渡しで待てども待てども私の荷物が出て来ない。
他の客が、どんどん居なくなり私だけが取り残された。
空港カウンターには大晦日か誰も居ない。
取り敢えずパスポートと財布を入れた小さなショルダーは
持っていたし、ホテルは予約していたので
リマ市内の、そのホテルへ向かった。
ホテルのフロントも大晦日の真夜中に灯りは少し
それでも何とか部屋に入れシャワーを浴びた。
流石に長旅で疲れていたので、ぐっすり良く眠れ
朝はホテルの朝食を取って、再び空港へ、荷物の引き取りに向かった。
相変わらず空港は閑散としていてカウンターに一人いた
飛行機会社の人に私の荷物はどうなったんだ?と
聞いても、サア〜と両手を広げるだけ。
とにかく探してよ!と荷物の受け取り票を控えさせて
次に向かう都市クスコへと移動した。
此の移動にバスか電車か何を使ったか記憶がない。