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2023年3月7日火曜日
このタイトル”一生懸命に”相応わしい人といえば松岡修造。
彼は阪急電鉄や宝塚を興した小林一三を祖父に、
父は東宝の会長、日本アカデミー賞協会名誉会長。
また若い時はプロテニスプレイヤーとして活躍してたのはご存知だろう。
その経験を生かしてスポーツ全般のキャスターとして今は各局に出ている。
彼のメリハリの効いた発言は名言として本にもなり、
格言は"まいにち修造”という日めくりカレンダーでベストセラーとなった。
少し前だが「ザ・インタビュー」という番組で
あの画家・草間彌生を呼んだ。
その時、草間は出来の悪い”そっくりアンドロイド”の様に動きは殆どなく、
ただ松岡を初めてみる生きものの様にジーッと観察するだけ。
そのリアクションに、インタビューに慣れた流石の松岡も、たじろぎ。
開口一番「先生、私を叱ってください!
先生は世界的に有名な芸術家だと存じてますが
私、先生の作品の素晴らしさが解らないんです。
私スポーツマンなんで芸術の世界に疎く
今日まで来てしまいました。
今日から芸術を理解できる人間に成りたいんです!」と
エリート育ちのお坊ちゃんらしからぬ謙虚さ。
此れに草間は更にドングリ眼となり口も半開きのまま。
芸術家は作品の解説はしない!というのか
呆けて相手の言葉が理解出来ないのかハッキリしない。
その後、松岡修造が何を聞いたか私の記憶もハッキリしない。
ただ、その場面は上質なコントの様でもあったし
ある意味で不条理劇として完成されて居た様だった。
スタートの開口一番の「先生、私を叱ってください!」は
テニスの試合の作戦の様に、
松岡が考えに考え抜いた台詞だったのだろう。
(まあ草間には通じなかった様だが)
その一生懸命さが彼の魅力で、その好感度は
今やCM出演は数え切れないほど
”まいにち修造”どころか
”どこでも修造””いつでも修造”・・・。
2021年12月26日日曜日
その6”緑色の猫”
私は、かつて大変な猫嫌いであった。
猫がそばに寄ってきただけで緊張し、それが
相手にも伝わりフーッと唸り、噛みつく奴もいて
困ったものだ。
私が手掛けたCMにY.M.O.ことイエローマジックオーケストラを
起用したFUJIカセットが有る。
それはY.M.O結成時から何時かCMで使いたい思い
米国の異色バンド、チューブスの前座を彼らがやるのを知り
明日プレゼンがあるという代理店のプランナーを中野サンプラへ
誘い、彼もハマって是非使いたいとスポンサーへ。
それは見事に成功、カセットだから、カセットの中から登場
という安易な企画でオンエアされた。
時代はウォークマン全盛、カセットテープは飛ぶ様に売れ
スポンサーのお偉いさんの娘が大ファンだという事で
次回作はなんぼ金をかけても良い!というお墨付きを貰った。
当時、MTVをやりたくてウズウズしていた私はどさくさに紛れ
CMだけでなく3分半くらいのロングヴァージョンまで企画した。
それは物語風でチェスをしている坂本龍一氏と高橋ユキヒロ氏が
いつの間にかフェンシングで戦っていて、細野晴臣氏が抱いていた
猫が突然跳ねて東京タワーへ飛んで行くという展開であった。
今なら恐らく私は猫にC.G.を使った処だが、当時はそんな技術は
無かった。
この猫が飛び跳ねるシーンを撮るのに、カメラを斜めに設定
高いところから猫を放り投げるという乱暴な技を使った。
カメラマン曰く猫は3mくらいなら軽く起き上がれるから大丈夫と。
果たして撮影を始めたところ、猫は嫌がって飛び降りない。
それもその筈、猫はスポンサーFUJIのイメージカラーの
緑色にされていたからである。
これも今なら簡単に毛の色など変えられるのだが。
予め動物プロダクションに人間の髪染め用の緑色を
塗って置いてくれと頼んでいたのだが、猫にそれは
難しく、サインペンの緑で一本づつ染めたとか。
それで猫は気持ち悪いらしく不機嫌でいう事を聞かない。
高い台の上で爪を立て飛び下りない。
そのお尻を無理やり押して落とすという今から思えば
残酷な事をした。
猫嫌いな私でも5回もやれば、もういい何とか撮れたんじゃない!
とカメラマンに言うと、駄目ちゃんとフレームに収まっていないと
くりかえすこと20回近く、最初は姿三四郎の飛び下り技の様に
クルッと宙返りして着地していた猫も段々疲れて来たのか
ドサっと足を伸ばさず体ごと落ちるようになってしまい。
それでもカメラマンは自分の家でも猫を飼っているから
大丈夫!とテイクを重ね、25回目くらいでやっとOKが出た。
責任逃れをするわけではないが、あくまでも虐待したのは
カメラマンで,
私では無い。
動物プロダクションの話では此の猫、なかなかの芸達者で
稼ぎ頭だったのが、その日以来、壁の方を向いたままの自閉症猫に
なってしまったと。
銀座の大手化粧品会社と言えば
何処だかすぐ分かる筈だが
そこからの依頼で企画、それも商品の取材から付き合えと、
その頃は珍しいスポンサー直(ちょく)の仕事だ。
その方は私の先輩ディレクターがよく付き合っていた人で
多少面識は有った。
会ってみたら私の頭をジロジロ見ながら実は育毛剤なんですが・・・
此れを見てもらえます?と新聞のコピーを出した。
そこには仙台の某氏が米の稲から髪の育毛剤を検出という記事が有った。
その某氏を取材して、それを基に
ウチの育毛剤のCMコンテを作って貰いたいんですが。
はあ、そんなので効くんですかね?と、私は半信半疑ながら、
ひょっとしたら私の救いの髪、いや救いの神になるかと。
その頃まだ、ポワポワと頭のてっぺんに薄毛が残っていたから。
スポンサーの今、仙台はホヤが出始めで美味いですよ!が食いしん坊の私に、
更に追い討ちを掛け、私は、すんなり仕事を引き受けた。
東京駅でクライアントと制作会社のプロデューサーと待ち合わせ
その某氏の住む仙台へと向かった。
新幹線を降り、タクシーは1時間くらい走ったと思うが
地方都市では大きな仙台市も田んぼだらけの田舎になり、
普通より少し大きめな、とある農家に着いた。
連絡はしてあったとみえ、頭の毛が薄い主人が出迎え、
名刺交換後、直ぐさま取材に入った。
後でコンテにしなくてはならないから、忘れない様にと
私はメモ用のノートを広げ聞いた話。
彼は当初、都会の人がマンション等のベランダでも米作りが出来る、
余り大きくならない自家栽培の稲の改良を進めていたと。
果たして、家庭菜園ブームに、それはヒットし
"ミニササニシキ”というネーミングで飛ぶ様に売れたらしい。
しかし、それは直ぐ飽きられ、出荷されず残った稲を
何か他に活用できないか?と彼は必死に研究、その結果
稲から取り出したエキスを髪の毛に付けたら
弱っていた細毛が太くなり、更に増えて来たと。
これはイケる!と新聞社に売り込み、記事になったと。
ほら、此れが以前の私と写真ファイルを拡げ、此れが今!と
頭を下げた私らの目の前にある毛は気のせいか
確かに濃くなっている様な、
いや、それ程でもない様な・・・。
此処までは私も仕事だから真剣に聞いていた。
しかし、その後から
実は私、ミニササニシキよりもっと凄い物を最近発見したんです!
と興奮気味。
それは何だと思います?私もクライアントも、ん?ん?
実は納豆!納豆に凄い育毛剤成分が有るのです!!
頭に付けると髪の毛がドンドン太くなるんです。
これはイケると思いましたよ。
しかし問題は、納豆のネバネバとその臭い。
頭が鼻に近いだけに我慢するのが非常に難しい。
それで、また攻め方を変え、口から入れたらどうか?と。
(いや、それなら納豆好きな私は毎日食べてるが)
この辺りでメモを取るのを辞め、部屋を見回すと、
先のミニササニシキで得た収益で海外旅行でもしたのか
TVの上に象牙の置物があれこれ。
壁には水墨画が色々。
私の座布団の下に敷いてあるのは高そうなペルシャ絨毯。
彼の話は、まだ続いた。
納豆を食べてると何だか毎日元気になるので
試しに肺活量を調べようと毎晩、風呂に潜り(どんだけ深い風呂なんだ?)
その潜水時間を記録するとドンドン伸びてるんですよタイムが!
(あれま、伸びるのは髪の毛じゃなかったっけ?)
此処で私は”すいませんトイレ貸してください”と立ち上がり
まだ真面目に話を聴いている二人を残し
ミニササニシキが無造作にズラーと並んだ手入れの悪い庭をブラブラ。
プロデューサーの”どうもお世話になりました!”の声を聞いて
慌てて部屋に戻り、一応頭を下げ、その家を後にした。
戻りのタクシーの中で
”此れコンテになりますかね?”とクライアント。
”いや、無理でしょう”と私。
その夜、私は仙台でも有名な居酒屋へ連れて行ってもらい
新鮮なホヤと旨い地酒をご馳走になった。
クライアントは”実は私、仙台生まれ、
明日はついでだから、実家の墓参りをしようかと”
”じゃ私も付き合わせて貰います”と腰の低いプロデューサー。
二人が、揃って私を見るので
”明日、午後打ち合わせがありますんで
早めに帰らせて貰います”と私。
勿論、打ち合わせなんか無かったけどね。






