ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ
ワールド・ミュージックの先駆けとして
世界各地のミュージシャンとセッションをしていた
米国のライ・クーダーが、アフリカのミュージシャンを
キューバに呼び、レコーディングしようとしたところ
ビザの関係で彼が来られなくなったので
急遽、地元キューバのベテラン・ミュージシャンを集め
レコーディングしたのが
此の”ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ”
1997年アルバム発表と共に世界中でベストセラー。
そのメンバーをライが再結集させ
ヨーロッパやアメリカと巡るコンサート・ツアーを企画
それはヴィム・ヴェンダース監督の
ドキュメンタリー映画と成って1999年に公開
それも音楽映画としては異例の観客動員
世界中に””ブエナ・ビスタ・・・”ブームを起こした。
それから、早くも約15年。
そのメンバーは今どうしているか?と調べたら
なんと殆どのメンバーが亡くなっていた。
コンバイ・セグンド (1907~2003)ギター&ヴォーカル
映画の中でも「女性は花、
愛する事が長生きの秘訣
115まで生きる!」と豪語していた
キューバの伊達男も95歳で腎不全で没。
ルーベン・ゴンサーレス (1919~2003) ピアニスト
ラテン・ピアノの名手としてキューバン・ジャズの
華やかな時代を伝える指先は高齢を感じさせない
力強さが有ったが、84歳で没。
イブライム・フェレール (1927~2005) ヴォーカル
映画「ブエナ・・・」の中でレコーディングに呼ばれる前は
街中で靴磨きをしていたと云っていた彼は
世界ツアーではメインの大スター
ライ・クーダーにキューバのナット・キング・コールと
おだてられ華やかなスポット・ライトを当てられたが
ワールド・ツアー後、間もなく亡くなっている。
オーランド”カチャイート”ロペス(1933~2009) ベーシスト
キューバン・ジャズの名門の音楽一家に生まれた彼は
先のピアニスト、ルーベン・ゴンサーレスと共に
数々のレコーディングに参加したコントラバスの名手であった。
ピオ・レイヴァ (1917~2006) ヴォーカル
イブレムの脇でソロ・ヴォーカルこそ取っていないが
サイド・コーラスで盛り上げていた
マオ・カラーのダンディなオジさん
彼はグアテマラでも活躍していたらしい。
以下、バックのメンバーも亡くなった人が居る。
マヌエル”プンテージ”リセア (1921~2000)ヴォーカル
マヌエル・ガルバン(1931~2011)ギター
こうして、たった15年の間に、”ブエナ・・・”のメンバーが
次々と亡くなっていくのは何故だろう?
確かに彼等はキューバ音楽の生き残りで高齢だった。
映画に映ったライブの艶やかな舞台姿は
プロのスタイリストが付いて
それぞれ今風の若々しい格好をしていた。
しかしヴォーカルのイブレムの声は肺気腫で辛そうだったし
映像はヴェンダースに編集されて頑張っては居たものの
皆、ツアーの長旅に疲れていた様だった。
私は思うのだ。
彼にとって”ブエナ・・・”に参加したのは
果たして良かったのだろうか?
キューバの社会主義体制の中で
貧しくも穏やかに生きていた彼等は
例えるに、苔のはった金魚鉢の水を、いきなり
全部、新しい真水に取り替えられたのと同じ
彼等の”ブエナ・・・”での成功が
多額の報酬や印税を得て、それぞれの生活が
それ以前と大きく異なってしまい
その事に彼等は順応出来なかったのでは無いか?と。
果たして、それは彼等に取って
自ら望んだ幸せな晩年だったのだろうか?
それは私には計り知れない、人の運命だ。
でも映画の1場面でN.Y.のタイムズ・スクエアを歩く
イブラム達メンバーは、高くそびえる摩天楼を見上げ
とても幸せそうだったのが、今は切ない。