2022年11月30日水曜日
2022年11月29日火曜日
黒澤明の映画音楽#5
生きものの記録 (1955):早坂文雄、佐藤勝
原子爆弾の恐怖に怯え、日本脱出を試みる老人を描いた此れは
クロサワ作品の中では最も不評で観客動員も少なかった作品である。
それはクロサワの盟友ともいえる作曲家・早坂文雄が映画の完成以前に
結核で亡くなった。享年41歳早すぎる死であった。
それはクロサワに影響を与えた4つ上の兄の自殺をも思い起こさ
作品の演出に力が入らなかったかも知れない。
音楽は早坂のスケッチを元に弟子の佐藤勝が後を引き継ぎ完成させた。
原子爆弾の恐怖をノコギリを使った奇妙な音色で表現したのは
早坂か佐藤か判らないが、とにかく音楽もクロサワ映画らしく無く思える。
此処で早坂文雄のバイオグラフィーを紹介したい。
彼は子供の頃、家が没落し父は出奔して母は病死。
残された彼は弟と妹の面倒を見るため
中学校までしか教育を受けていない。
それなのに、どうして15歳で作曲家を志し、ピアノが弾けたのかは謎だが
彼はエリック・サティの”3つのグノシェンヌ”を日本で初演している。
そして次々とピアノ曲や管弦楽曲を作曲。
それらが認められて様々な作曲家協会に誘われ上京。
彼の作風は”汎東洋主義”というべき日本や東洋の美学を
雅楽や伝統音楽から引き出した様式美であった。
それらは、大映では溝口健二監督の「雨月物語」「山椒大夫」に反映され
その前に大映時代のクロサワに出会い「羅生門」
そして東宝に移ったクロサワと「生きる」「七人の侍」が生まれた。
映像と音楽に長けた此の二人の天才が日本映画のレベルを
著しく向上させたと言っても言い過ぎでは無いだろう。
2022年11月28日月曜日
黒澤明の映画音楽#4
七人の侍 (1954):早坂文雄
此の作品は1954年のヴェネツィア映画祭銀獅子賞に輝き
それ以降もBBCの選んだ外国映画BEST-100に堂々1位
外国枠を外したハリウッド映画を含めても7位にランキングされる。
「羅生門」に続き”世界のクロサワ”を決定付けた作品でもある。
若きクロサワが本物の時代劇を作ろう!
ジョン・フォード西部劇に負けない時代劇をと
脚本家・橋本忍と小国英雄を誘い、昔の侍や百姓の暮らしを
徹底的に調べ上げ、脚本を練り上げて完成させ
撮影も予定より遥かに伸びて1年がかり、予算は7倍に膨れ上がった。
それまでに無いマルチ方式というカメラを数台使用
俳優の息遣いまで写しとる超望遠レンズの多用は画期的なものだった。
此の作品に、作曲家として呼ばれた早坂文雄は
その時、既に体を結核に蝕まれていたが
スコアのデッサンを1年かけて書き、ピアノで1曲1曲弾いては
クロサワのダメ出しを受けながら4つのテーマに絞った。
タイトルバックに使われた”侍のテーマ”
”野武士のテーマ””志乃のテーマ””菊千代のテーマ”
ダイナミックな行進曲に叙情的なメロディーを絡ませ
早坂の得意な邦楽や御神楽まで盛り込んだオーケストレーション。
それらはサウンドトラックとしてコロンビアから発売された。
とにかく音楽だけでも、そのスケール感が味われる。
2022年11月27日日曜日
黒澤明の映画音楽#3
生きる:早坂文雄
人生 100年と今言われるが、人間はいつか死ぬ、
それは当たり前の事と、普段気にはしていないが、
いざ医者からタイムリミットを宣告されたら
誰でもショックだろう。
限りある残りの時間=人生をどう生きるべきか?
それを真剣に考えた男の話である。
とりあえず、やれるだけの事はして死んでゆく。
その葬式に来た人が、あの人は何であんなに・・・と
時間を遡り、証言してゆく構成。
あの人、夜中に公園のブランコで歌ってました
♫ 命短し、恋せよ乙女
作詞 吉井勇、作曲 中山晋平の”ゴンドラの唄”
主演の志村喬は時代劇ミュージカル映画「鴛鴦歌合戦」で
リズム感も良くビックリするくらい達者な歌を披露しているが
此処ではクロサワに、もっと下手に
死ぬ間際なんだから・・・の注文があったろう。
それでも、此の場面には泣けてしまう。
2022年11月26日土曜日
2022年11月25日金曜日
2022年11月24日木曜日
Goldfinger:Shirley Bassey
AmazonのPrimeVideoの”サウンドオブ 007”を観た。
ジェームス・ボンド映画音楽のメイキング・ドキュメンタリーだ。
ジョン・バリーが此の曲を作った時のエピソードが興味深い。
当時マイケル・ケインが俳優仲間のテレン・スタンプと
ルームシェアをしていたが出入りしていた女友達の事で追い出され、
友達のジョン・バリーの家に転がり込んだら
彼が朝から晩までピアノで同じ曲を弾いていて何の曲か尋ねたら
次の007の主題歌ゴールドフィンガーだと。
歌ったシャーリー・バッシーは英国のソウルシンガー。
すで人気があり、ジョン・バリーは楽団を率いて
彼女の伴奏をしていた縁もあり、彼女を主題歌のヴォーカルに推薦。
とにかく声をもっと大きくとリクエストされたものの
10回以上も歌って声が出なくなったのでブラジャーを外して
歌ったら、やっとOKが出たと彼女。
それとジョン・バリーは作曲家として売れる前はエレキ・バンドで
珍しくトランペットを吹いている映像が出てきた。
それで、007のイントロのデンデケデンのエレキに、迫力ある
ブラスの追っかけの秘密が解けた様な気がした。
1時間弱あるので又、今日続きを観よう。
2022年11月23日水曜日
バルカン半島音楽(最終回)
とかく領土争いの絶えぬ地域の此の半島
その度に人々は入り混じり音楽も入り混じり
様々な曲が生まれた。
その中でも私の記憶に残ったのは此の曲。
そして、それを作曲したこの人。
アントン・パン(1790~1851)
彼はオスマン帝国時代のブルガリアに生まれている。
父親は錫細工のバケツ職人というから多分”ロマ”だね。
母親はギリシャ系。
初等教育を受けている頃ロシアとトルコが戦争を始め
家族はベッサラビア今のウクライナに引っ越すが
そこでも戦争が起こりロシア兵となった兄二人は戦死
家族はルーマニアの首都ブカレストに移住する。
その地で彼はルーマニアのロシア正教の聖歌隊に入隊
そこで合唱活動と墓掘人夫をしながら音楽を学び
その後も戦乱が続くルーマニアを転々としながら
此の様な歌を数々作曲し楽譜を几帳面に残した。
彼の音楽は当に彼のルーツ、バルカンとにギリシャ正教音楽が入り混じり、
そこに又、彼の地の不幸な歴史が
哀愁となって漂う。
2022年11月22日火曜日
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