2014年4月6日日曜日

三木たかし作曲集 その4
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忘れないわ:ペギー・マーチ
”アイ・ウィル・フォロー・ヒム”で14歳の時デビューした
彼女はリトル・ペギー・マーチという名前だった。
全米シングル・チャートで1位、
グラミー賞の最年少記録は同じ”リトル”という名前が付いていた
スティービー・ワンダー13歳に破られている。
世界マーケットのアイドルとしてドイツ、日本でも人気沸騰。
その勢いで日本オリジナルで吹き込んだのが此の曲。
三木の作曲はカンツォーネを意識した作り。
彼女は耳が良いのか達者な日本語は、ほぼ完璧だ。
大ヒットしたので「霧の中の少女」「いつでも夢を」と
次々カヴァーを出して成功した。


2014年4月5日土曜日

蟹江敬三 (1944~2014)
Googleニュースに彼の訃報が載っていた。
胃がんだったらしい。
その風貌からして始めは悪役など個性的な役柄が多かったが
此処数年は渋い脇役としてTVに映画に活躍していた。
私の記憶に残って居るのは
吉右衛門の”鬼平シリーズ”での
小房の粂八役。
第1シリーズ4話「血頭の丹兵衛」で
捕らえられた盗賊の粂八が
恩人と慕う親分の丹兵衛(日下武史)を
追うため牢から放たれるが
探し出したものの丹兵衛は、彼が思うような男では
既に無く成っていたというエピソード。
時が経てば人も変わるという切ない話を
蟹江は丁寧に演じシリーズの中でも完成度が高かった。
勝新のTV「座頭市」シリーズでもゲストで
悪役善人役と両方やっていて
かねがね巧い役者だとは思っていたが、
先の小房の粂八”に、彼の凄さを感じた。
その後も”鬼平”はよく観ているが
はっきり云って主役の吉右衛門はどうでも良く
蟹江などの密偵達の動きに興味を持っている。
暫く前だが、市川森一・脚本の
「ソープ嬢モモ子」シリーズでの
モモ子につきまとう刑事役の蟹江も忘れ難い。
日本人には珍しいジャック・パランスの様な
奥く目の此の役者
テレビでは売れっ子だが、まだ、
映画では、それほどの大役はしていなかった。
何れ、凄い演技を見せてくれると
期待していたのだが残念・・・。

ジュールス・ダッシン作品集
名前からしてロシア系ユダヤ人だが、彼の経歴は変わっている。
アメリカはコネチカット州生まれ
若い時にヨーロッパに渡り演劇を学ぶ。
帰国後ヒッチコックの助監督等を経て
社会派のドキュメンタリー映画「裸の町」を撮るも
時はマッカーシー旋風、”赤狩り”にハリウッドを離れ
ヨーロッパに拠点を移す。
フランス、イタリアの製作で「男の争い」「宿命」と成功し
ギリシャの女優メリナ・メルクーリとの出会いが
彼の運命を決定づけた。
アカデミー賞ノミネートの「日曜はダメよ」以降
「死んでもいい」「「トプカピ」「夏の夜の10時30分」と
喜劇、悲劇、スリラーと
全ての作品に彼女を主演させているが
何れも、お互いの才能が活きている素晴らしい出来で
ダッシンの映画のヒロインを演じきった
メルクーリが凄いのか?
女優メルクーリをギリシャの文化大臣にまでさせた
ダッシンが偉いのか?
二人は余程相性の良いコンビだったと云えよう。

三木たかし作曲集 その3
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夕月:黛ジュン
ご存知と思うが
彼女は三木たかしの実妹である。
その妹の為に作った曲が「恋のハレルヤ」
「天使の誘惑」以上の大ヒットとなった。
それでも此の寂しい歌のせいでは
無いだろうが兄妹揃って結婚運は悪く
特に黛は3度も離婚している。
そんな訳で2009年のNHK歌謡コンサートは
30年ぶりの兄妹共演だったが
その4ヶ月後に三木は亡くなっている。

2014年4月4日金曜日

 浄信寺の桜
今日は亡妻の月命日なので墓参り
結構キツイ坂は自分の足で何時まで登れるか不安だが
それでも、まだ大丈夫。
昨日の雨で、坂道には絨毯の様に桜の花びら。
それにしても青い空。
美空ひばりの”さくらの唄”が聴こえてきそう。

ペドロ・アルモドバル作品集
昨日のルイス・ブニュエルの後継者と呼ばれているのが
此の人・ペドロ・アルモドバル。
人間の欲望を赤裸々に描く処が、そう云われる所以だろう。
とにかくカソリックの戒律が厳しい国の反動か
可笑しいまでに”性”に対して自由を求め
男女が、もがき苦しむストーリィは人間の”業”として
笑いの奥に哀しみすら漂う。
彼の身体に流れるのはブニュエルと同じく
濃い”ラテンの血”ながら
映画ポスターを比較すると解ると思うが
彼の作品の方がソフィスケートされているのは
自らゲイとカミングアウトしている彼の現代性だろう。

三木たかし作曲集 その2
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恋はハートで:泉アキ
そんなワケで暫く「さくらの唄」の作曲家で
2009年に亡くなった三木たかしの特集
前回をもう一度観てもらえば解ると思うが
歌の巧い彼は当初、歌手志望。
作曲家・船村徹に弟子入りするも
「君は作曲家のほうが向いている」と云われ
急遽方向転換、作る側に。
デビュー曲は阿久悠に抜擢され
泉アキの「恋はハートで」(1967)
此の歌は
当時流行のエレキ・サウンドにミニ・スカート
17歳のハーフの彼女の屈託ない明るさに
覚え易い歌詞とメロディが茶の間に受けた。