2018年8月3日金曜日

早朝から自転車でボードを運ぶ娘
もっと早くからサーフィンをしてる男

2018年8月2日木曜日

"忘れ得ぬ店 "その2 とんかつの春日 
その店は田町駅から慶応大学に向かう商店街の入口近くに在って最初は木造の二階建てだった。暖簾をくぐると主人の威勢の良い声がまず聞こえた。昼は定食だけで学生やサラリーマンで混雑していたが女将さんが手際よく客を捌いて、待つことなく揚げたての分厚いとんかつが出てきた。私が此の店を気に入ったのは、定食屋らしからぬ季節の花や絵などを飾った落ち着いた佇まいと、ある日、店で、奥から揚げられたトンカツに主人が"ダメだこれじゃ"と小さなカツの2皿分を1皿に盛り直すのを偶然見てからだ。此のセチ辛い世の中で"ウチの店は"という気骨が彼に感じられた。此の店はカツの旨さは勿論、味噌汁のシジミの大きさまで何時でも揃っていて、身も柔らかく忙しい筈なのに煮込み過ぎていなかった。
此の店の先にCM制作会社が有って仕事で遅くなると私は晩御飯代わりにも此の店を利用した。夜はカツ以外に刺身や酢の物などの品数も増え、それが割烹料理屋の様な洒落た器で現れた。くわいの旨さを知ったのも此処だ。それでいて私が"今日は手持ちが少ないんだけど"と言うと、指を三本五本と立て、私が三本を立てると、ニコッと笑って頷き、その値段で、此んな物まで食べられるかと、旬の魚や野菜の煮物を、その場で作ってくれた。
それから暫く田町の仕事先とは縁がなく、何年か後にその店の前を通ったら、それはコンクリートのモダンなビルに変わっていてビックリした。ても、その一階で店は続いていて、主人の相変わらず元気な声が聞こえ、安心した。そして彼が自慢していたL.Aに留学していた息子が戻って来ていて、そのビルの三階に西海岸風なBARを開いていた。
どうやら息子の為に店を建て替えビルにしたらしい。だから私は一階で食べた後、三階で軽くカクテルなどを飲むというコースが出来た。それから又暫くして田町に行ったら何と、そのビルが、まるごと大仕掛けの手品の様にキレイに無くなっていた。
あの昔気質の主人に若い息子、いったい何があったのだろう。あれこれ想像しても結局分からない。
出会いは別れの始まり、別れは突然やって来る、店も人も同じ。今でも想い出すのは、あの粋で鯔背な主人の "らっしゃい!"という声。
”夏の一曲”
Jo Stafford-The Things We Did Last Summer 
此のジョー・スッフォードは1930~1980年の間
米国のポピュラー音楽史に歴然とした軌跡を残した
女性ヴォーカリストである。
但し日本ではTVの無い時代
ラジオから最初に流れた音であったろう。
かく云う私は戦後生まれであるから、その時代を描いた
映画から彼女を知ったわけであるが・・・。
The Things We Did Last Summer =去年の夏の出来事は
自分の青春が走馬灯のように駆け巡り
何とも切ない気持ちにさせる。



熱帯夜対策
流石に私も脱水症になるのが嫌なので
此の所エアコンをかけっぱなしで寝ているが、
糠床も昼に仕込んだものを夕方かき混ぜ、
漬かりが早いので、水浴では無理と
冷蔵庫に避難させた。
それが功を奏し此の見事な茄子の色。
漬かり具合は今年のベスト5入り。
焼き魚はトロ鯖の鰹の"兄貴"
味噌汁はナメコと豆腐に台風でも生き残った
ベランダの三つ葉。


2018年8月1日水曜日

"忘れ得ぬ店 "その1 栃木の屋台ラーメン
出会いに別れは付きものと、
涙を堪えてサヨナラした人が居るように、
大好きだったのに何かの事情で閉めてしまった店がある。
そんな店へのオマージュ=想いを
古い順に書き残したい。
まずは私の故郷の栃木市に在った
屋台のラーメン屋、名前はシンガキ。
日が暮れる頃に赤いランプの警察署の前の広場に店を出し、
夜中だけ営業していたその屋台に通ったのは
私が中学生から高校生の頃。受験の息抜きというか、
まあロクな勉強はしていなかったな。
何せ夢中だったのは映画館からポスターを盗む事。
自分の部屋は西部劇や史劇物で天井まで埋め尽くした。
「クレオパトラ」のポスターなんかは
エリザベス テーラーをレックス ハリソンと
リチャード バートンが挟んだ巨大なビルボード用で
縦横3x5mも有ったんだから私は相当な凄腕だった訳よ。

おっと横道に逸れたが、話しを屋台に戻すと、
とにかく夏は蚊に喰われながらペダルを漕ぎ、
冬は手袋をして北風の中ハンドルを握って夜食に通ったものだ。
味は、今で言う喜多方いや佐野ラーメンに近いか?
平打ちの縮れ麺。
叉焼も上手だったが何より覚えているのは
柚子の皮の切れ端が入っていた事だ。
此れは後で登場させる予定の浅草の蕎麦屋 大三にも共通するが、
どうやって柚子を一年中保存出来たのかは謎。
とにかくアッサリしたスープに潜んだ小さな柚子の皮は、
薄れゆく私の栃木の記憶の中、まだ仄かに香っている。
”夏の1曲”
The Green Leaves Of Summer:Dimitri Tiomkin
此れはジョン・ウェインが初監督した映画「アラモ」の主題歌
ジョン・ウェインは彼の育ての親である監督ジョン・フォードの
スタッフをそのまま使い、万全に備えた。
もちろんジョン・フォードも心配で
時々ロケ現場に現れては、あれこれアドバイスをしたという。
作曲はディミトリ・ティオムキン
彼は「リオ・ブラボー」で使った”皆殺しの歌”を
この作品でも決戦前夜で使っている。
ディミトリは名前からしてロシア移民だが
この頃はハリウッドは門戸を広げて居て
「ベン・ハー」の作曲家ミクロス・ロージャはハンガリー
「隊長ブーリバ」のフランツ・ワックスマンはドイツ
そしてカメラマンもメキシコ系や中国系と
アメリカン・ドリームを求めてきた才能ある人に自由の国だった。
それらの人々が米国を支えてきたのだ。
それが今、たった一人の馬鹿、それも大統領が壊している。

の映画に初監督のジョン・ウェインは
彼の育ての親である監督ジョン・フォードのクルー
フォード組をそのまま使い、万全に備えた。
もちろん親分ジョン・フォードも心配で時々ロケ現場に現れては、
あれこれアドバイスをしたという。
一人で米国バス横断旅行した時、
サンアントニオのアラモ砦跡で、この曲を思い出した。
でも其処は夏草や強者どもの夢の跡ならぬ
草なんか1本も生えて居ない荒野のド真ん中だった。




宇佐美定食
昨日、買っておいた鰹の刺身
根生姜は付いているのはやめて
面倒でも新しく擦って
昨日漬けた茄子と胡瓜の糠漬け。
一晩、瓶を水浴させて居た。
納豆には茗荷、最近気に入っている
超小粒という奴。
味噌汁はアゴ出汁に豆腐とニラ
これは昨日の兄貴