”忘れ得ぬ店” その4 「うまいち」 パート2
それから何年かして、
同じ馬道通りだが浅草駅から離れた2丁目に
此の店の看板を見つけたのは銭湯の帰りだった。
一丁目でなくとも名前は”うまいち”。
前の店より、だいぶ狭くなったが、
それでもメニューも味も変わらなかった。
馴染み客も再開したのを知って次々戻ってきた。
客は電気の配線設計士、組紐屋の番頭と仕事は違ったが、
ホルモンが大好きと言うところが一緒だった。
主人のM氏はTVは巨人と時代劇が大好きで、
焼いている時以外はTVのチャンネルを探し、それを夢中で観て居た。
ある日、「大岡越前守」の脚本が最近ダメだとか
専門家らしい事を言って居たので、
私が中村錦之助の「関の弥太っぺ」の話をしたら、
「アレは良かった、大好きな映画だ」と。
話題がその映画になり、側にいた馴染み客で、
その映画を観て居ない奴が居たので
私がウチにビデオがあるからこれから観に来る?といったら
皆付いてきて、店を早めに閉めたM氏も近くだったので
私のマンションで深夜の「関の弥太っぺ」鑑賞会となった。
皆、酔っ払いながらも温順しく観て居たが、
私がクライマックスに「此処で泣かされるんだよ!」
と振り向いたら大の大人が、いや親父たちが全員涙を浮かべていた。
前の店の時にもいたS江さんも時々現れ、
前の店の時にもいたS江さんも時々現れ、
一緒にアマゴを釣りに行ったと仲はうまくいっている様だった。
釣りといえば私は釣りをしないがイカが好きだと言ったら、
M氏は私と配線設計士を誘い3人で東京湾にイカを釣りに行った事もあった。
釣りといってもシャコを餌に、錨のちっちゃな奴みたいなのに
釣りといってもシャコを餌に、錨のちっちゃな奴みたいなのに
引っ掛けるだけだった。
それでもビギナーズラックで私だけ2杯も釣れたのには笑った。
悪いから次の日、塩辛にして店で分けたのを覚えている。
ホルモンの部位も”コブクロ””ハツ”レバ”そしてその頃は
ホルモンの部位も”コブクロ””ハツ”レバ”そしてその頃は
生もO'157騒ぎ以前だったので
規制もなくレバ刺しもよく食べた。
それ以外には冷やしトマトぐらい、
飯の代わりが豆腐の入ったモツ煮込み、
今思えば栄養のバランスは悪く、少しづつ私の身体が
おかしくなってきて居た。
だから飲み物はチューハイ3杯を切り上げどきにして居た。
それでも三日と空けずに通っていたら
先にM氏の方が糖尿を悪化させ、片目を失う事に。
そう言えば彼は連日、自らチューハイを作り、
また客から勧められるまま、それを飲んでいたのだ。
また続きはパート3へ。
また続きはパート3へ。
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