”忘れ得ぬ店” その4 「うまいち 」パート3
馬道二丁目に引っ越してから”うまいち”は、店をよく休んだ。
日曜日にやるかと思えば週末の掻き入れ時でも閉まって居た。
おそらく片目を無くした主人の体調もあったのだろう。
街中でバッタリ会った店の馴染み客が、
例のS江さんから突然電話がかかってきて
彼女が始めた保険屋に勧誘されたと。
彼女が始めた保険屋に勧誘されたと。
そんなこんなで又少し足が遠ざかり、
久しぶりに銭湯の帰り店をのぞいたら客は無く、
主人がTVの時代劇をポケッと観て居た。
相変わらずテッポーは旨かったが、
彼は片目だと疲れ易いとこぼして居た。
彼は片目だと疲れ易いとこぼして居た。
今思えば、かなり糖尿病は進んで居たのだろう。
そして彼の息子が暴れて警察沙汰になって
引き取りに行った事などを話した。
引き取りに行った事などを話した。
半ば女房と一緒に捨てた様なもんだから
グレるのは当たり前だよなと独り言。
グレるのは当たり前だよなと独り言。
そこには嘗て愛人たちに、それぞれ店を持たせて
一晩中掛け持ちして居たという色男の面影は消えて居た。
その彼が「エゴラッピンってグループ知ってる?」と聞いてきた。
私が知らんと答えたら、そのメンバーが、
この頃よくウチへ来るんだと。
なんでも鶯谷のキャバレー跡でライブをよくやっていて
先日招待されたので観にいったら面白かったと。
ふ~んと、その時は興味がなかったので答えた。
それから暫くして、店は開いていることは全く無くなった。
そして街中で会った店の客からM氏が亡くなった事を知らされた。
それから暫くして、店は開いていることは全く無くなった。
そして街中で会った店の客からM氏が亡くなった事を知らされた。
そうか、もうあのテッポーは食べられないのかと急に哀しくなった。
それから1年くらい経った或る晩、また銭湯の帰り、
それから1年くらい経った或る晩、また銭湯の帰り、
その店の灯りが点いて居た。
えっ死んだ筈じゃなかったの?ユーレイ?と
恐る恐る扉を開けたら、誰も居ない。
”こういう時、昔は彼が買物に行ってるんだ”と
声に出してトイレで小便をして出てきたら、
野球帽を被った、やたら背の高い奴とバッタリ!
向こうも私に驚いている。まあ私も普通じゃないからネ。
お互いに睨み合っててもしょうがないので自己紹介は私から。
昔この店によく来てたCM監督。
彼も私はエゴラッピンのギターを弾いてる森雅樹と少し関西訛り。
聞けばM氏の最期を仲間と看取り、
その後、この店が無くなるのが惜しいので
みんなと借りてアジト兼事務所代わりにしていると。
私のことも聞いて居たらしく、
S氏が置いていったサーバーでチューハイも作ってくれ、
しみじみ彼の昔ばなし。私が彼は相当モテたらしいよと言ったら、
いや本当かな?
彼が部屋に宝石が在るから金に替えてくれというので
鑑定したら全部安物だったと。
彼も私と同じ様にM氏の虚言癖を承知で付き合って居たらしく、
コイツ本当に、いい奴だなと。
ウチに戻ってYouTubeで”エゴラッピン”を探したら
ウチに戻ってYouTubeで”エゴラッピン”を探したら
結構センスのある良いバンド。これから贔屓にしようと決めた。
それから何年たったろう、
それから何年たったろう、
東京駅から私が南千住行きのバスに乗ったら
三越前からS江さんが乗ってきた、
かなり前の方に居たので声をかけずに居たが
遠くからでも判る相変わらずの濃い口紅、
でも心なしか寂しげに見えた。
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