永六輔(1933~2016)と大橋巨泉(1934~2016)
今日の「徹子の部屋」で追悼番組として
此の二人の生前最後の姿が出ていた。
その余りの変貌ぶりは,闘病の結果とは云え
かなりのショックを受けた。
あれほどお喋りだった永六輔が、
ほとんど口がきけないミイラの様になり
デブだった大橋巨泉は頬がこけ、丸で別人。
それでも巨泉は、まだ話せるだけマシだった。
此れまでタレントとして、まず人前に顔を見せるのを
生業として来た彼等だが、あの状態を人目に晒すのを
躊躇わない彼等の勇気が、凄い!
最後まで何かを伝えようとしてる
ふたりの姿勢に涙が出て来た。
部屋の主、黒柳徹子はだいぶ前からカツラと化粧で
みんなが知っている黒柳徹子のお面を被っているが
流石に滑舌が悪く成り
あの早口の言葉が何を云って居るか
字幕が欲しい位だ。
私に取って、今日騒がれている大橋巨泉は
趣味が違うので昔から興味が無く、何とも云えないが
ラジオでジャズの歌詞を訳してくれたのが有り難かった。
そして”シナトラはエラの真似で巧く成った”と
意外なジャズ・ヴォーカルの裏技を教えてくれた。
しかし永六輔は何とお礼を云っていいか
わからない程お世話になった。
思えば彼は私の”人生の道しるべ”の様な存在だった。
退屈な受験勉強の間に観た
NHK土曜の夜の「夢で逢いましょう」は
良質な音楽とコントで楽しませてくれ、いつか
大人になったら、TVで面白い事をやりたいという
夢を私に持たせてくれた。
まあ結果的にはTVでも違う仕事だったが。
日曜の朝、日テレの「遠くへ行きたい」では
普通とは違う”旅”の仕方を教えてくれた。
「いつもと違う道を選べば、必ず何か面白いものがある!」
取り敢えず”当たり前の生き方をするな”は
今でも好奇心を最優先する私の座右の銘。
タモリが真似する寺山修司の東北弁も説得力があったが
永さんの場合は下足らずの早口のカン高い声で
照れながら少しも偉そうでは無いのが私は好きだった。
そう大橋巨泉が偉そうなのはそれが芸風だったから
仕方が無い事だし
伊丹十三は監督だからスタッフを動かすのに
どうしても命令調に成るのは職業病だ。
しかし永六輔は浅草生まれの浅草育ち
”ヒ”と”シ”の」区別が出来ない下町っ子。
お寺の息子だから、説教は巧い筈なのに
どこか粋な落語家か幇間(たいこもち)みたいだった。
ウチの本棚には、まだ彼のエッセイが
ズラ〜ッと1m以上何冊も並んで居る。
少しづつ読み返してみようかな・・・。
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