2014年9月17日水曜日

山口淑子またの名を李香蘭 (1920~2014)
彼女に私は想い入れがある。
子供の時に彼女が主演した映画「白夫人の妖恋」を観て
なんと妖艶な・・・という表現は、まだ使えず
美しい人だと思った。
その話は、その映画の感想でキネマ通りに載せているので
後で添付するが
彼女の生涯はミュージカルになるくらい波乱万丈。
満州で親中派の日本人夫婦の間に生まれ
子供の時から中国語は日本語と同じ様に話せたと云う。
音楽に興味を持ち、近くのイタリア人オペラ歌手に歌の指導を受ける。
その美しさと非凡な才能に満州映画が眼を付け
幾つかの作品に中国女優”李香蘭”という芸名で主演する。
そして更に戦時下、日本の国策映画にも
長谷川一夫と競演し、国内でも絶大な人気を得る。
当時、来日し舞台公演した時は観客の列が
日劇(今のマリオン)を7周りしたとかの伝説。
その後も中国映画に主演し、主題歌が悉くヒットし
”李香蘭”のまま、押しも押されぬ大女優と成る。
しかし終戦を迎え
彼女は中国人の売国奴として裁かれそうになるが
なんとか日本国籍が証明され、辛うじて日本に帰国する。
そして、その美貌は衰える事無く
今度は日本映画界に本名の”山口淑子”として復帰し
東宝、松竹、大映と数々の映画に起用される。
(その頃、私は映画「白夫人の妖恋」を観たという事になる。)
でも彼女の生来の冒険心は留まる事を知らず
ニューヨークはアクターズ・スタジオの門を叩き
ブロードウェイの舞台にも立ち
彫刻家イサム・ノグチと結婚して日本に戻り
鎌倉に居を構えるも芸術家同士はシリが合わず離婚する。
それでも得意の中国語と衰えぬ李香蘭人気で
中国は香港ショーブラザースに再び招かれ
中国映画に主演し映画もレコードもヒットする。
(此の曲は恐らく、その頃のレコーディング)
その後、日本人外交官と再婚し暫く引退するも
TVワイド・ショーの「3時のあなた」の司会
そしてベトナム、中東とリポーターとして活躍した後
参議院議員に当選、何期も役職を務め引退する・・・と
並みの日本女性の数倍もの経験をした人生であった。

今でも私には白蛇の化身した白娘(パイニャン)の
恋いこがれる潤んだ瞳が遠い記憶として残って居る。



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