トニー谷(1917〜1987)
我々団塊の世代には懐かしいコメディアンである。
算盤でリズムを取り、軽やかに歌い踊る姿が
今でも鮮やかに脳裏に蘇る。
女物の釣り上がった眼鏡、ポマードで撫で付けたオールバック
そしてコールマン髭は、どう見ても普通のオジさんでは無く
私は子供だったが、面白いと云うより気持ち悪かった。
進駐軍のジャズの司会からスタートし
抜群のリズム感を武器にピン芸のコメディアンに転身していった。
怪しげな英語の混じった言葉が日系2世を思わせたが
全くの日本人、自分で作りあげた架空のイメージだった。
そんな彼は面白いと思われる反面、
赤塚不二夫の漫画の”イヤミ氏”のモデルに象徴される様に
その歯にきせない毒舌が人々に嫌われた。
当人も、それは意識していた様で、派手な芸能界には珍しく
小マメに貯蓄し、稼ぐだけ稼いだ後
人前から逃げる様に、ハワイへ移住してしまった。
確かに、あの容姿は、演じていた日系2世の多い
ハワイに合っていた様な気がするが・・・。
しかし、此処で取り上げたスター達は皆、死後愛され
慕われているのに、彼の評判は、すこぶる悪い。
高慢で人付き合いが悪く、表裏を使い分ける嫌な奴だったと。
挙げ句に子供を誘拐され身代金を要求された犯人に
「人を小馬鹿にした芸風に腹が立った」とまで云われている。
人気が有ったのに、そこまで彼が嫌われた理由(ワケ)は
彼自身、隠して来た生い立ちに有るようだ。
子供時代、酷い虐待を受け、誰にも愛されず、とどのつまり
お金しか信用出来なくなったのだろうと思われる。
身内が訪ねて来ても「金の無心か?」と、会うのを断っていたと云う。
彼主演の「家庭の事情」という喜劇映画が大ヒットして
シリーズ化した位なのに、本当の家庭の事情は余りにも酷くて
他人(ヒト)には何も語れないと死ぬまで、ひたすら秘密にした。
そんな彼が心とは裏腹に算盤片手に
「ざんす、ざんす、さいざんす!」とハシャイで
高度経済成長期の昭和と云う時代を”太鼓持ち”の様に
盛り上げていたのは今、思えばとても哀しく切ない話だ。
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