映画「中村勘三郎」
私は彼のファンなので勘九郎時代から
TVでオンエアされた
ニューヨーク公演や柄本明とのドタバタ喜劇など
録画して殆どDVDに焼いて持っている。
先日、7000時間に及ぶ膨大な記録を
80分に纏めたと言う此のドキュメンタリーが
TVで初オンエアされた。
いやはや改めて感じるのは勘三郎の凄まじい迫力!
昭和、平成と駆け抜け、勘九郎から勘三郎へと跳んだ此の俳優
いや”役者”と言う方が似合う希代の名優の足跡は
驚くべき深さが有った。
「私は企業や団体客が付いている役者じゃなく
お客様一人ひとりが面白いと思って
観に来てくれる役者だから
つまらない芝居をしたら直ぐ飽きられてしまう」
「型破りは型が出来てこそ成り立つもの」等など
彼が熱く語る歌舞伎への想いには
恐らく周りの者は吹き飛ばされてしまっただろう。
此の素顔の自分を見せるドキュメンタリーすら
彼は出し物として”素顔と言う演技”をしているのではないか?
・・・というのも浅草のウチの傍で公演した
中村座の稽古を知り合いに覗かせて貰った時
”此処で、こういうアドリブを入れるから
慣れちゃ行けないよ、アドリブに見えなく成るから”と
アドリブの練習までしている彼の演出に驚いたのを思い出す、
此の映画に彼が選んだカメラ・クルーの切り取った映像は
超クローズアップが多いので映画全編、力が漲り
観ている方が、はなはだ疲れてしまう位なのだが
それを救っているのが監督・松木創の編集。
インサートされる何の意味の無い風景の数々・・・
それが余韻として絶妙な効果と成っている。
恐らく、それも生前、彼が指示していたのだろうか?
斯うも早く亡くなるとは
彼自身、思いも寄らなかった事だろう。
幼い頃から付き人として彼を育ててくれた老役者の死に
戸惑い、嘆き悲しむ姿は観るものの胸を打つ。
そして、それは歌舞伎と言う社会が
それらの人に支えられたものである事を悟らせる。
それから間もない自分の病魔との戦い。
そこには流石に彼の演技は皆無だが
此の、彼の初めての挫折と、その後の復活。
それが又、此の映画のクライマックスとして
緊張感を生んでいる。
心配そうに舞台袖から見守る家族やスタッフに
こちら観る側も勘三郎への想いが重なる。
そして彼が亡くなり、残された二人の息子
勘太郎に七之助は自分の勘九郎襲名披露で
涙を浮かべ「父を忘れないで下さい!」・・・と。
とにかく完成度の高いドキュメンタリー作品だ。


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