2015年5月2日土曜日

クレジーキャッツの時代
ハナ肇(1930~1930)
彼の”ハナ肇”という芸名の由来は
興奮すると鼻が開く(そう云えば、あの顔)のと
ジャズピアニストの和田肇氏から来ているらしい。
スタートは此のサイトでも紹介したフランキー堺が
”シティ・スリッーズ”というコミック・バンドを
やっていた頃、彼はそこのバンド・ボーイだった。
それは冗談音楽のスパイク・ジョーンズ楽団の真似だったが
フランキーが日活の俳優としてバンドを離れたので
彼がフランキーの後釜としてドラマーになり
先に居た植木等や谷啓そして桜井センリに
犬塚弘や安田伸を加え「キューバン・キャッツ」として
活動を再開、進駐軍のキャンプ回りをしていた。
洗面器で頭を殴るコントが外人に「ユー・ア・クレイジー」と
受けたのを機に「クレイジー・キャッツ」と改名にした。
バンド・ボーイが、そのままリーダーに成ると云うのは
普通、有り得ないが彼には
それなりの人望と統率力が有ったという訳である。
しかし彼はジャズマンと云うより、当初は
ギャグ・タレントとしての才能が光っていた様に思える。
私が彼を知ったのは日本テレビの「シャボン玉ホリデー」
双子のザ・ピーナツ相手に
「お父さん、お粥が出来たわよ・・・」のコント
ラストは彼女達に挟まれて肘鉄を食らうオチ。
そして時事をテーマにした昼のコント番組「おとなの漫画」
年に一度タレント大集合の新春かくし芸大会での校長の銅像。
灰色に塗られて微動だにせず銅像に成りきる彼には笑った。
「巨泉・前武のゲバゲバ90分の”あっと驚く為五郎〜”」と
想えば彼は、ずっとTV好きの私の側に居た様な気がする。
しかし彼の只ならぬ演技力に感動したのは
山田洋次が「男はつらいよ」シリーズ以前
まだ監督として試行錯誤をしていた時代
落語を題材とした「運が良けりゃ」「馬鹿まるだし」に
始まる”馬鹿シリーズ3本”の後
山田が”映画とは何か?””喜劇とは何か?”を掴んだ名作
「なつかしい風来坊」は日本映画の分岐点とも云える作品だ。
その後、渥美清に主役の座こそ奪われたものの
寅さんの原型は総て、此の作品のハナ肇に観る事が出来る。
彼のキャラクターは市川崑監督に愛され
初期の「足にさわった女」から黒い十人の女」
「そして「太平洋ひとりぼっち」に観られる
彼の存在感が市川崑作品の大事な要素だった。
深作欣二の「仁義の墓場」「北陸代理戦争」では
山田洋次作品に連なる馬鹿で、お人好しのヤクザ役が
愛らしく”仁義なき戦い”に暖かみを出した。
考えると彼は日本映画の歴史の中で
稀に見る役者・名脇役であったと私は思うのだ。
お笑いタレントとしての面白さが先に立ち
とかく俳優として評価が低かった彼だが
クレイジーのメンバー7人と共演した
故・市川準監督の「会社物語」でブルーリボン主演賞に
ノミネートされたものの、惜しくも受賞とは成らなかったが
亡くなる2年前の1991年、紫綬褒章を得たのが
せめてもの救いだ。

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