黒澤明 vs ハリウッド:田草川 弘
映画ファンならずとも興味のある
”黒澤明「トラ・トラ・トラ」監督解雇騒動”の
顛末を日米双方の関係者から事細かに取材し
残された書類から検分した此の本を
浅草・松屋の古本市で見つけた。
題名通り、まさに日本を代表する監督・黒澤明と
ハリウッドのプロデューサー・システムとの戦い。
巨大資本に敗れた孤独なサムライの記録か?と
読み始めたが、中身は意外にもクロサワを愛した
ハリウッド・プロデューサーの報われなかった
片想いの物語であった。
周知の通り、映画「トラ・トラ・トラ」は
歴史に残る日本の真珠湾攻撃開始の暗号である。
それが日米両国の交信ミスから宣戦布告無しの
日本の騙し討ち”として太平洋戦争へと発展した訳であるが
それを指揮した連合艦隊長・山本五十六は
国際情勢に詳しく、日本に勝ち目が無い事を知っていて
最後まで真珠湾攻撃を避けようと努力していた。
その事実を一人の才将が負った悲劇とクロサワは捉えていた。
しかし、その悲劇が、よもや後に自分に重なる運命とは
クロサワ自身、思いも依らなかった事だろう
と云うのが此の本の出だし。
まずは脚本の段階で米国側プロデューサーは、自ら製作した
「地上最大の作戦」のヒットを狙い、ノルマンジー上陸作戦の様な
スペクタクル戦闘場面で客を呼ぼうとしていた。
此れとクロサワの人間・山本五十六を描こうとするものと
対立し日米、太平洋を挟んでの激しい攻防で
クロサワは徐々に神経が蝕まれて行く。
そして大幅な変更にも、合意点を見つけ撮影まで漕ぎつける
が、しかし伏兵はクロサワの足下に潜んでいた。
ホームの黒澤組のいた東宝・砧撮影所と違い
いわばアウェイの京都東映撮影所のスタッフが
”山本五十六”に成り切って連合艦隊長の様な
独裁体制を敷くクロサワのやり方に
ストライキという反旗を翻したのだ。
此れは”東男”に対する「イチゲンさんお断り」の
京都人独特の”イケズ”も入っていた。
更に当時の京都東映は”ヤクザ映画”全盛期
撮影所内を闊歩する着流し雪駄の健さん鶴田浩二の
ヤクザ姿を日本映画の頽廃と嫌ったクロサワが
海軍の衣装を着せた俳優たちを
役作りと称して撮影所でファンファーレ付きで
迎えて対抗した事にも拠る。
その俳優たちも此の作品でクロサワが
敢えて本物らしい軍人を使いたい!
つまり戦後、既に社会人と成っていた元軍人達を起用した事で
緻密に計算された脚本の台詞を話す事が出来ない素人達への
彼の演出に、既に破綻が生じている事に
まだ気付いて居なかった。
”クロサワと云えばミフネ”
ハリウッドは当然、主役の山本五十六役は三船敏郎を
使うものと信じていたらしい。
それを敢えて”本物らしさ”を求めたクロサワは
撮影が遅れていたにも関わらず
「社会人=素人たちは俳優以上の成果をあげている」と
マスコミに公表したのでスケジュールを空けて
待っていた”世界のミフネ”は怒り、
「此れは日本の俳優全体に対する侮辱、今後いっさい
黒澤映画には出ない!」と決別を告げた。
此れは、その後の「影武者」「乱」と
2人の絶好な組み合わせが観られなかった
日本映画にとっても不幸な事であった。
総てが思う様に捗(はかど)らないクロサワは、
京都の定宿・俵屋で夜も眠れず
朝まで酒を飲み、体調を崩し、撮影の開始時間に遅れ
現れても現場で、突然のセット改修や衣装の手直し
果ては”自分は誰かに命を狙われている”と
自分だけでなくスタッフ全員に
工事現場の様なヘルメットの着用を義務づける。
確かに業界では昔から”嫌な監督”に
天井から物を落とすという噂は無くは無かった。
そして敵が狙い易いのは一番油断しているトイレと
用便をする時までガードマンを連れ添い
挙げ句は、自らスタジオのガラスを破って
”撮影所は無防備だ!”と警察に通報自首する
等の奇行を繰り返す様に成ったと云う。
彼の癇癪持ちとも呼ぶべきスタッフへの叱責は
どんどん自分を周りから孤立させて行った。
かって「羅生門」撮った時のカメラマン宮川一夫の様な
スタッフを纏めてくれる存在が無かったのである。
「天才と・・・・は紙一重」という諺が有る様に
誰が見ても最近の監督クロサワの状態は可笑しい。
世界映画史に残る名作「七人の侍」の大監督と評価して
彼を起用したハリウッドも、莫大な予算の
ハワイの真珠湾攻撃のスペクタクル・シーンの撮影直前
九州には実物大の戦艦「長門」と「赤城」の
リアルなオープン・セットが既に建て込まれていた時
僅か8分間の室内シーン、それもスタジオでの撮影が
何日も遅れている状況に此れから先を危ぶみ
タイミング良く2度も倒れ入院した黒澤を診断した
医師3人の報告(ノイローゼ)をもとに
ハリウッドは監督の解雇という苦渋の決断をする。
しかし此のノイローゼと云うのはクロサワの
完全主義に予算がオーバーするのを恐れた
ハリウッド側の保険を得る為の材料であって
必ずしも総てが事実では無い。
後に黒澤自身はノイローゼでは無かったと反論している。
黒澤の代表作「羅生門」でも描かれた
真実は”藪の中”どちらかの立場で変わって来るのだ。
此のハリウッド側というのは
フォックスという映画会社の事であるが
それは”ラスト・タイクーン”と呼ばれた
ダリル・ザナックを筆頭にし
その息子のリチャード・ザナック
そしてクロサワに恋したプロデューサー
エルモ・ウィリアムスのピラミッド構成。
クロサワに何の未練も感じないビジネスライクの
息子リチャードから最後までクロサワを庇い
何とか監督を続けさせようとしたエルモの想いは
クロサワには伝わらず。
クロサワは頂点に居るザナックしか意識しなかった。
「黒澤プロダクション」の代表を務めながらも
英語の出来ない黒澤に代わり、ハリウッドとの交渉を
一手に引き受けていた日本側プロデューサー青柳哲郎は
その契約内容を黒澤に全く見せず、詳しく説明もしなかった。
だから黒澤は自分を此の映画の総監督と思っていた。
だから殆どのシーンの絵コンテを描きイメージを作り
編集も自分でやるものと信じていた。
しかしハリウッドではプロデューサーがトップであり
米国側の監督リチャード・フライシャー然り
雇われた監督には多くの場合、編集権は無い。
その事実を最後まで彼は知らなかった。
だから、そのまま監督を続行したとしても
何時かは起こるトラブルであったろう。
著者・田草川弘は執念とも思える膨大な資料を整理し
ノンフィクションとして此の1冊の本に纏めた。
若い頃、黒澤の脚本の翻訳を手伝い可愛がられ
此の「トラトラトラ」の制作発表に通訳として立ち会い
此の映画の完成を心待ちにしていたのだ。
その後、自分の別の仕事に戻り
彼は撮影現場とは距離を置いていた。
それだけに黒澤明監督「トラ・トラ・トラ」の
頓挫が悔しくてならず、その真実を知りたいと
国内には残っていなかった記録をフォックス映画社や
海外の図書館にまで求め、追跡調査を始めたと云う。
結論として"黒澤明vsハリウッド”は
名作「生きる」に感動し、誰よりも監督クロサワに憧れ
彼に映画を撮らせたいと思ったハリウッドのプロデューサー
エルモ・ウィリアムスと
日本映画会社の低迷にアメリカへの進出を目指した
監督・黒澤明のボタンのかけ違い、
日米の誤解は、まさに「トラトラトラ」の
主題そのものだったと云うオチに成っている。
改めて、もう一度、監督リチャード・フライシャー版の
映画「トラ・トラ・トラ」を観てみた。
黒澤のコンテ通りのフレーム画面ではあるが
何処をどう編集されたのか
彼の狙った人間ドラマは全く見えて来ず、ハリウッドの
莫大な予算で作られた此のスペクタクル戦争映画が
多くの人命を奪った歴史上の悲劇”太平洋戦争”同様
あれは何だったのだろう?と
感動とは程遠い、やけに空しい作品に感じられた。
最後に著者が米国に年老いたプロデューサー
エルモ・ウィリアムスを取材に訪ねた時
此の「真昼の決闘」「フレンチ・コネクション」を生んだ
ハリウッドきっての名プロデューサーが
「クロサワには本当に申し訳ない事をした」と
詫びる処に「トラ・トラ・トラ」の悲劇は
人の想いが伝わらなかった事と泣けた。


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