(日本映画・女優編)
左幸子(1930〜2001)
彼女は、此のサイトの映画「暖流」や「にっぽん昆虫記」で
以前取り上げたので此れは追記のつもり。
生まれは富山県(どうりで「にっぽん・・・」の東北弁は巧かった)
骨董屋を営む両親の3男5女の長女。
東京女子体育大学卒業後、中学校の体育、音楽教師を
東京女子体育大学卒業後、中学校の体育、音楽教師を
しながら俳優座の委託生として演技を学ぶ。
デビューは新東宝の「若き日のあやまち」(1952)
文芸映画の名匠・田坂具隆之「女中っ子」(1955)に主演
(この映画を私は公開当時、9歳で観ている)
イタリア留学から戻った大映の増村保造の「暖流」(1957)
今村昌平の「にっぽん昆虫記」に当時、夫の羽仁進の「彼女と彼」
の2作品でそしてベルリン国際映画祭女優賞(1963)を獲得する。
の2作品でそしてベルリン国際映画祭女優賞(1963)を獲得する。
そして内田吐夢の「飢餓海峡」(1965)では
毎日映画コンクール主演女優賞と順風満帆の人生であったが
彼女が女優にのめり込む程に、夫・羽仁進の気持ちは離れたか
彼女が女優にのめり込む程に、夫・羽仁進の気持ちは離れたか
娘・未央を連れてアフリカ・ロケに行っている間に
此れに同行した左の実の妹・額田喜美子と不倫関係になってしまい
その後、二人は離婚する。
娘・未央も夫に付き、妻と母と姉の自分を全部失った左は
酒浸りの日々を送ったという。
それでも何とか仕事(初監督・主演「遠い1本の道」)で
立ち直ったかにみえた矢先の1985年
今度は彼女を、胃がんという病魔が襲う。
手術後も体調は回復せず長い闘病生活に入り
その後はテレビのバラエティ番組で人生相談の様なものに
時々出演するが2001年に肺がんで亡くなっている。
享年71歳。
彼女が映画で演じた役=逆境にめげず、強かに生きる女は
現実には無理だったようだが、それでも
「女中っ子」等、健気で明るい彼女の姿が私の記憶の中に蘇る。
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