2013年2月18日月曜日

(日本映画・女優編)

左幸子(1930〜2001)

彼女は、此のサイトの映画「暖流」や「にっぽん昆虫記」で
以前取り上げたので此れは追記のつもり。
生まれは富山県(どうりで「にっぽん・・・」の東北弁は巧かった)
骨董屋を営む両親の3男5女の長女。
東京女子体育大学卒業後、中学校の体育、音楽教師を
しながら俳優座の委託生として演技を学ぶ。
デビューは新東宝の「若き日のあやまち」(1952)
文芸映画の名匠・田坂具隆之「女中っ子」(1955)に主演
(この映画を私は公開当時、9歳で観ている)
イタリア留学から戻った大映の増村保造の「暖流」(1957)
今村昌平の「にっぽん昆虫記」に当時、夫の羽仁進の「彼女と彼」
の2作品でそしてベルリン国際映画祭女優賞(1963)を獲得する。
そして内田吐夢の「飢餓海峡」(1965)では
毎日映画コンクール主演女優賞と順風満帆の人生であったが
彼女が女優にのめり込む程に、夫・羽仁進の気持ちは離れたか
娘・未央を連れてアフリカ・ロケに行っている間に
此れに同行した左の実の妹・額田喜美子と不倫関係になってしまい
その後、二人は離婚する。
娘・未央も夫に付き、妻と母と姉の自分を全部失った左は
酒浸りの日々を送ったという。
それでも何とか仕事(初監督・主演「遠い1本の道」)で
立ち直ったかにみえた矢先の1985年
今度は彼女を、胃がんという病魔が襲う。
手術後も体調は回復せず長い闘病生活に入り
その後はテレビのバラエティ番組で人生相談の様なものに
時々出演するが2001年に肺がんで亡くなっている。
享年71歳。
彼女が映画で演じた役=逆境にめげず、強かに生きる女は
現実には無理だったようだが、それでも
「女中っ子」等、健気で明るい彼女の姿が私の記憶の中に蘇る。

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