僕の好きな先生:RCサクセッション
此の歌は彼らの1stアルバム「初期のRCサクセッション」に入っている。
忌野清志郎がまだフォークのスタイルを取っていた頃だ。
此の歌に描かれた”先生”は私が中学生の時の美術の先生に重なる。
私が今日有るのも、みな彼のお陰と云って良い。
「お前は絵の才能がある、もっと絵を描け!」と
美術部に入れ、そして「絵は技術だけでは人は感動させられない、
人間性を高めるためには演劇もやれ!」と演劇部に誘い、公演にも参加させた。
私の演出家としての芽は此処で育まれたのだ。
当時、噂では彼は予科練くずれ、赤ら顔はアル中の証拠だと。
確かに時々、遠くを見ている様な顔をしていて
美術部の写生会には腰のポケットにウイスキーの小瓶が入っていた。
それでも、私の前で一度も乱れた事は無く、
正に煙草と絵の具の匂いのするカッコイイ先生だった。
私を嫌う体育教師に度々、教員室に呼び出された時も
何時も代わりに謝って引き取ってくれた。
そして私が中学を卒業後、暫くして彼が病気だと聞きき
ご自宅に見舞いに行った時も、床から起き上がり、元気だよと笑ってみせた。
そして、それから何年か後に亡くなった。
私は此の歌を聞く度、優しかった、その先生の事を思い出す。
”僕の好きな先生、僕の好きなオジさん”
いいお話ですね。
返信削除昔はそういう先生がどこの学校にも
必ずいて、机上とは別の学校が
放課後にありました。
人間臭い面白い魅力があって、
教員たちから胡散臭がられてても、
生徒は一目置いてました。
会社もそうですが、
中途半端な成果主義が蔓延って、
数字に表せない魅力を持った方たちが
居辛くなる世の中というのは、
どこか間違っていると思いますね。
だいたい、日本人に成果主義は
そぐわないと実感します。
予科練に入ったくらいの軍国少年が
削除美術の教師に成った経緯(いきさつ)を
今、生きておられたら、一緒に酒でも飲みながら
聞きたかったと思います。
終戦後から今日までの日本を
どう感じていたかも。