2025年3月9日日曜日
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2025年3月6日木曜日
”一生懸命な人々”(番外編)松岡修造vs草間彌生
このタイトル一生懸命に相応わしい人といえば松岡修造。
彼は阪急電鉄や宝塚を興した小林一三を祖父に、
父は東宝の会長、日本アカデミー賞協会名誉会長。
また若い時はプロテニスプレイヤーとして活躍してたのはご存知だろう。
その経験を生かしてスポーツ全般のキャスターとして今は各局に出ている。
彼のメリハリの効いた発言は名言として本にもなり、
格言は"まいにち修造”という日めくりカレンダーでベストセラーとなった。
あの画家・草間彌生を呼んだ。
その時、草間は出来の悪い”そっくりロボット”の様に動きは殆どなく、
ただ松岡を初めてみる生きものの様にジーッと観察するだけ。
そのリアクションに、インタビューに慣れた流石の松岡も、たじろぎ。
開口一番「先生、私を叱ってください!
先生は世界的に有名な芸術家だと存じてますが
私、先生の作品の素晴らしさが解らないんです。
私スポーツマンなんで芸術の世界に疎く
今日まで来てしまいました。
今日から芸術を理解できる人間に成りたいんです!」と
エリート育ちのお坊ちゃんらしからぬ謙虚さ。
此れに草間は更にドングリ眼となり口も半開きのまま。
芸術家は作品の解説はしない!というのか
呆けて相手の言葉が理解出来ないのかハッキリしない。
その後、松岡修造が何を聞いたか私の記憶もハッキリしない。
ただ、その場面は上質なコントの様でもあったし
ある意味で不条理劇として完成されて居た様だった。
スタートの開口一番の「先生、私を叱ってください!」は
テニスの試合の作戦の様に、仕事熱心な松岡が
考えに考え抜いた台詞だったのだろう。
(まあ草間には通じなかった様だが・・・)
その一生懸命さが彼の魅力で、その好感度は
今やCM出演は数え切れないほど
”まいにち修造”どころか”どこでも修造””いつでも修造”・・・。
2025年3月5日水曜日
サー・ケネス・ブラナー (1960~)
昨夜、最新の「オリエント急行殺人事件」(2017)を観て
此の俳優が主演の探偵ポアロと監督もしているの知った。
私はTVのデヴィット・スーシェのポアロが好きなので
それでも贅沢なキャスティングとオープニングのイスタンブールから
アルプスにかけて背景&時代考証の見事さに圧倒された。
彼はローレンス・オリビエの再来と言われてデビューした
シェークスピア役者だから、長い台詞の吹き替えの草刈正雄が”美の壺”で
やたら鼻について原作の核=正義の審判というドラマが嘘っぽく感じた。
そして続けて、もう1本
スパイアクション映画「エージェント・ライアン」(2014)を観たら
何と此のケネス・ブラナーがロシアの黒幕で世界恐慌を
仕掛けている極悪人を演じているでは無いか?
その昔「マラソンマン」(1976)で、サー・ローレンス・オリビエが
ナチの残党の極悪人を演じて怖かったが
こちらもケネスの前では主演のクリス・パインが
狼に狙われた子羊に見えて凄みがあった。
此の映画、元海兵隊のクリスがアフガン戦争で怪我をして
ウォール街の株式プログラマーに成っていたのを
C.I.Aのケビン・コスナーにスカウトされ
ロシアの黒幕が爆弾テロを仕掛け第三次世界恐慌を
起こそうとして居るのを事前に察知し
ロシアまで出向いて情報を盗み出する話だ。
彼には彼女(キーラ・ナイトレイ)が出来て、
自分がC.I.Aに入った事を知らせて無かったので
話が、ややこしい事になる。
彼女に成り行きでケネス・ブラナーの相手させて
データ盗み出すスリシングなシーンと彼女を拉致されて追う展開は
撮影&編集にスピード感があり
此れも彼の監督としての非凡な才能を感じさせるが・・・
ケネス・ブラナーさん、此の2本何方の作品も
ちょっと自分を格好よく見せすぎで無いかい?
小林克也氏は天才である!
↑クリック
先ず独学で英語を覚えたというのだから。
ラジオFENをオモチャにして育ち
少年の時、プレスリーの監獄ロックに痺れたと。
アメリカ人に”君の英語は南部訛りがあるね”と言われたらしいが
兎に角、彼のベストヒットUSAを楽しみにしていた私は彼に憧れ・・・
と言っても英語がペラペラ話せるわ訳は無いが
ロックは、ずっと現役で追っかけのつもり。
現役と言えばだいぶ前だが
私がLAでロッド・スチュワートをCMで撮って来たのを
彼が聞きつけ、彼のラジオ番組にゲストとして呼ばれた時は
嬉しくてたまらなかった。
その後もA社のCMに彼を起用するという事もあり、
ナレーションもかれに頼んだのが多いし
何かと縁のある方だ。
その時、彼に衣装は何を?と聞かれ、
僭越にも貴方は普通の格好だと"オーイ為シンナーに気を付けて"の
ペンキ屋の親方に見えちゃうから
是非ウルフマンジャックの様なDJらしいアロハでお願いしますと。
流石に撮影当日、彼はセンスの良いアロハを着て来た。
それより又ずーっと昔だが、あの福田一郎氏と、
やはりL.Aのルーズベルトホテルのプールサイドで一緒になり、
その夜のデビット・ボウイのユニバーサル・スタジオのライブ・チケットを運よく頂いた。
当時、音楽評論家の第一線にいた福田一郎氏は禿げていて
何で、こんなオジさんがロックに強いんだろう?と不思議な気がした。
凄い人なのに腰の低いところも今の小林さんと似ていたな。
今や私も小林克也氏も、ご覧の様に髪の毛は殆ど無い
ロック好きは禿げやすいのか(ー ー;)
2025年3月4日火曜日
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