フリーダ・カーロ(1907~1954) 47歳没
彼女のフルネームはマクダレーナ・フリーダ・カーロ・イ・カルデロン。
兎にも角にも彼女の生涯は激しいものであった。
父親のギリェルモはハンガリー系ユダヤ人の写真家
母親はメキシコ人、どこで知り合ったかは分からないが
フリーダは彼らの三女としてメキシコシティで生まれた。
6歳の頃、急性灰白髄炎にかかり9ヶ月にわたり寝たきり状態
しかし父親が何とかして足が元に戻る様に
ハイキングに連れて行き写真や彼女の趣味である水彩画を描かせた。
メキシコでは最高教育機関である国立予科高等学校へ
35人目の女性として入学した。
そこで社会主義に目覚めるも26歳の時、通学途中の
バスと路面電車の衝突事故で又しても3ヶ月の重傷を負う。
ベッドの上の生活を余儀なくされるが、その痛みを紛らわせる為に
絵画を描く様になり画家の道を目指す。
3年後通常の生活に戻れる様になったフリーダは
メキシコ壁画運動の画家ディエゴ・リベラと出会い恋に落ちる。
ディエゴとの歳の差は21歳、ご覧の様な巨漢のディエゴと
彼女は”美女と野獣”と噂された。
ディエゴの作品はシケイロス、オロスコと同じ様に壁画形式
メキシコの歴史をモチーフとしてパリで始まったキュビズムや
モダニズムを取り入れた民族解放的なプロパガンダであった。
ディエゴは猟色家でフリーダの前に何度も結婚しているが
なんと、フリーダの妹とも関係を持ち
それにショックを受けたフリーダは別居したが
フリーダもディエゴに当て付ける様に
アメリカ人彫刻家イサム・ノグチと関係を持ったとか
アメリカの女性画家ジョージア・オキーフとも
肉体関係(バイセクシャル)があったとか、もう無茶苦茶。
ラテン系の芸術家は性に関して実に奔放だ。
そんな訳で一度は離婚したもののフリーダはディエゴと又
ヨリを戻し暮らし始めるが、そこへモスクワの圧力で
ノルウェイも追われた革命家トロッキーが転がり込む。
この辺りは映画や小説にもなっている。
だから彼女の作品にはメキシコの風土に彼女の身体の痛みや
彼女の歴史的な交友関係まで全て描き込まれているのが特徴だ。
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