彼女がどうして私の電話番号を知ったのかは
分からないが、だいぶ前だが突然かかってきて
”カントクさん私の番組に出てくれませんか?”
テレビのバラエティで”ナイスミディパス”のCMの
撮影時の事を話して貰いたいんです。
たまたま、その時はロケで日本に居ない時だったので
丁重にお断りしたが
その後も、井の頭線に乗った時、奥の方から
目つきの悪い婆さんがジッと私を見てると思ったら
寄ってきて、”やっぱりカントクさんだ!”と菅井さん
”ワタシ今度手術するんですよ
体に刃物を入れるのが怖くて怖くて”と。
”ナイスミディパス”は足掛け3年続いて
彼女だけでなくて泉ピン子さん野際陽子さんと
30代、40代、50代女性3人のトリオ。
その頃は、まだ国鉄だった今のJRのキャンペーン。
彼女は日本映画史で名だたる監督に愛された名女優。
黒沢映画には「生きる」で役所に陳情にくる下町おばさん
「ゴジラ」には女性代議士。川島雄三の「幕末太陽伝」
今村昌平の「豚と軍艦」先日の「天国と地獄」では
阿片窟の中毒患者までやっていた。
とにかく日本に居なくなっちゃった昭和初期の女性
電車なんか通ってない山奥の畑を耕して居る感じ
貴重な存在だった。
先に”必殺”で藤田まこと主水の婿殿いびり役から
”ナイスミディパス”で
ブレイクして3人でTVドラマまで制作された。
晩年、伊丹十三監督の「お葬式」で
第8回日本アカデミー助演女優賞
82歳の時「ぼくのおばあちゃん」で映画初主演を果たし
世界最高齢主演女優としてギネスに申請し承認された。
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