「ガンファイターの最後」(1969):監督アラン・スミシー
リチャード・ウイドマークが扮する昔気質の保安官と
急激に近代化した西部の街の市民との対立が描かれている。
此の映画が米国映画史で特別な存在なのは作品では無くて
監督の名前”アラン・スミシー”
此れはハリウッド映画協会が公然と発表した偽名
つまり先に監督ロバート・トッテンが主演のウイドマークと
ソリが合わず降板してドン・シーゲルが代わって演出したものの
ドンも此れは私の名前はだすな!と拒否したから
映画協会は”アラン・スミシー”と奇妙な名前を創作したという訳。
まあ、そんな訳で完成度は低いのだが作品として
不思議な魅力を持った西部劇だ。
冒頭から主題歌とともにジャズシンガーのレナ・ホーンが登場
スタイリッシュな映像で、アメリカン・ニュー。シネマの設え。
そして、これ以上の悪役面は無いというリチャード・ウイドマークが
意外にも保安官役で情け容赦もなく卑怯な奴を撃ち殺す。
それが発端となって、それまで彼を保安官として
雇っていた市議会のメンバーは、正当防衛を超えていると
彼を罷免をしようと対立する。
此の対立の構図が、今一つ明確に描かれてい無いのが
此の作品の欠点だが、それでも西部劇のカウボーイ達の中に
初めて車が登場し、議事堂が大きく建てられた街に
酔い潰れて自分の事務所の牢屋で寝てしまう保安官は
時代遅れなのは、他の映画でも出てきた。
ともかく、街の裏の部分を知りすぎていた
保安官リチャード・ウイドマークは”最後のガンファイター”として
格好良く殺され街の近代化は進むというラスト。
あっネタバレしちゃった(御免)
もう少しで西部劇の名作になったのに惜しい作品だ。
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