2022年5月28日土曜日

「ガンファイターの最後」(1969):監督アラン・スミシー

リチャード・ウイドマークが扮する昔気質の保安官と

急激に近代化した西部の街の市民との対立が描かれている。

此の映画が米国映画史で特別な存在なのは作品では無くて

監督の名前アラン・スミシー

此れはハリウッド映画協会が公然と発表した偽名

つまり先に監督ロバート・トッテンが主演のウイドマークと

ソリが合わず降板してドン・シーゲルが代わって演出したものの

ドンも此れは私の名前はだすな!と拒否したから

映画協会はアラン・スミシーと奇妙な名前を創作したという訳。

まあ、そんな訳で完成度は低いのだが作品として

不思議な魅力を持った西部劇だ。

冒頭から主題歌とともにジャズシンガーのレナ・ホーンが登場

スタイリッシュな映像で、アメリカン・ニュー。シネマの設え。

そして、これ以上の悪役面は無いというリチャード・ウイドマークが

意外にも保安官役で情け容赦もなく卑怯な奴を撃ち殺す。

それが発端となって、それまで彼を保安官として

雇っていた市議会のメンバーは、正当防衛を超えていると

彼を罷免をしようと対立する。

此の対立の構図が、今一つ明確に描かれてい無いのが

此の作品の欠点だが、それでも西部劇のカウボーイ達の中に

初めて車が登場し、議事堂が大きく建てられた街に

酔い潰れて自分の事務所の牢屋で寝てしまう保安官は

時代遅れなのは、他の映画でも出てきた。

ともかく、街の裏の部分を知りすぎていた

保安官リチャード・ウイドマークは最後のガンファイターとして

格好良く殺され街の近代化は進むというラスト。

あっネタバレしちゃった(御免)

もう少しで西部劇の名作になったのに惜しい作品だ。


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