フランク永井(1932〜2008)
江利チエミに続いて歌手畑からのスター”フランク永井”。
チエミの様に子供の時からではないが、
彼も進駐軍キャンプのクラブ歌手としてスタートしている。
”のど自慢荒らし”と異名をとる程の巧さ。
ビクターから「恋人よ我に帰れ」でデビューしたが
ヒットには至らず、売れる為には歌謡曲をと
佐伯孝夫・吉田正の作詞作曲コンビでデパート”そごう”の
CMソング「有楽町で逢いましょう」が大成功!
空前のヒットを記録する。
デパートに客は押し寄せ、同名の映画まで出来た。
その勢いで「夜霧の第2国道」「羽田発7時50分」
松尾和子とのデュエット「東京ナイトクラブ」に
リバイバルの「君恋し」と、出すレコード全てが売れて
歌謡曲の世界に、それまでのコブシの効いた演歌ではない
ムード歌謡というモダンなジャンルを確立する。
耳の良い彼は進駐軍で覚えた英語が堪能で
その実力は高く評価された。
私は名前の由来フランク・シナトラよりも
“黒いシナトラ”と呼ばれた実力派
ビリー・エクスタインの歌唱法に近いと思う。
御覧の様に二枚目ではないが愛嬌の有る顔は万人に愛され
レコード大賞を1回、歌唱賞を2回、特別賞を3回
NHK紅白出場は島倉千代子と並ぶ回数を誇った。
しかし1980年あたりからヒットに恵まれず
紅白にも落選、落ち込んだ彼に隠し子が・・・。
後は皆さん、ご存知の様に彼は自殺を図り、
一命は取り留めたものの、それが脳のダメージとなり
2度と人前で歌う事は出来無く成ってしまった。
カラオケには歌っている本人が出演している曲が時々あるが
フランク永井のヒット曲を選ぶと
元気だった頃の彼が映像で登場する。
此れが、なんとも辛い。
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