2014年6月10日火曜日

フランク永井(1932〜2008)
江利チエミに続いて歌手畑からのスター”フランク永井”。
チエミの様に子供の時からではないが、
彼も進駐軍キャンプのクラブ歌手としてスタートしている。
”のど自慢荒らし”と異名をとる程の巧さ。
ビクターから「恋人よ我に帰れ」でデビューしたが
ヒットには至らず、売れる為には歌謡曲をと
佐伯孝夫・吉田正の作詞作曲コンビでデパート”そごう”の
CMソング「有楽町で逢いましょう」が大成功!
空前のヒットを記録する。
デパートに客は押し寄せ、同名の映画まで出来た。
その勢いで「夜霧の第2国道」「羽田発7時50分」
松尾和子とのデュエット「東京ナイトクラブ」に
リバイバルの「君恋し」と、出すレコード全てが売れて
歌謡曲の世界に、それまでのコブシの効いた演歌ではない
ムード歌謡というモダンなジャンルを確立する。

耳の良い彼は進駐軍で覚えた英語が堪能で
その実力は高く評価された。
私は名前の由来フランク・シナトラよりも
“黒いシナトラ”と呼ばれた実力派

御覧の様に二枚目ではないが愛嬌の有る顔は万人に愛され
レコード大賞を1回、歌唱賞を2回、特別賞を3回
NHK紅白出場は島倉千代子と並ぶ回数を誇った。
しかし1980年あたりからヒットに恵まれず
紅白にも落選、落ち込んだ彼に隠し子が・・・。

後は皆さん、ご存知の様に彼は自殺を図り、
一命は取り留めたものの、それが脳のダメージとなり
2度と人前で歌う事は出来無く成ってしまった。
カラオケには歌っている本人が出演している曲が時々あるが
フランク永井のヒット曲を選ぶと
元気だった頃の彼が映像で登場する。
此れが、なんとも辛い。

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