追悼
面影平野:藤圭子
今、この訃報が飛び込んで来た。
彼女は、子供の頃
浪曲師の父と三味線弾きの母に連れられ
門付をして瞽女の様に地方をまわっていた過去を持ち
その経験が演歌歌手としての力を付けたと云われている。
1960~1970年の間、女の不幸を歌わせたら
彼女の右に出るものは居ない実力派として活躍
1971年同じ歌手の前川清と結婚、翌年離婚
そのドスの効いた声の歌唱からか
喉の病気・手術などで引退と復帰を繰り返し
その後、あっさりと単身米国へ移住し
音楽プロデューサーの宇多田氏と出会い再婚
宇多田ヒカルの母となり
幸せな人生を終わろうとしていたはずだ・・・
その彼女に何が有ったのかは解らないが
やはり、彼女は自分で歌っていた女の様に
幸せに成れなかったのだろうか?
こうして宇崎竜童と阿木燿子が彼女にアテて作った、
この唄を聴くにつれ
彼女の孤独が胸に響く。
女一人の住まいにしては
私の部屋には色がない
薄いグレーの絨毯の上
赤いお酒をこぼしてみよか
波紋のように足許に
涙のあとが広がって
酔えないよ 酔えないよ
六畳一間の 面影平野
私一人が眠るにしては
大きなベットは邪魔なだけ
緑に腰かけ背中を丸め
過ぎた月日をひも解いている
足の踏み場もないほどに
悲しみばかり散らかって
危ないよ 危ないよ
六畳一間の 面影平野
最後の夜に吹き荒れてった
いさかいの後の割れガラス
修理もせずに季節がずれた
頬に冷たいすきま風
虫の音さえも身に染みる
思い出ばかり群がって
切ないよ 切ないよ
六畳一間の 面影平野
切ないよ 切ないよ
六畳一間の 面影平野
女一人の住まいにしては
私の部屋には色がない
薄いグレーの絨毯の上
赤いお酒をこぼしてみよか
波紋のように足許に
涙のあとが広がって
酔えないよ 酔えないよ
六畳一間の 面影平野
大きなベットは邪魔なだけ
緑に腰かけ背中を丸め
過ぎた月日をひも解いている
足の踏み場もないほどに
危ないよ 危ないよ
六畳一間の 面影平野
いさかいの後の割れガラス
修理もせずに季節がずれた
頬に冷たいすきま風
虫の音さえも身に染みる
思い出ばかり群がって
六畳一間の 面影平野
六畳一間の 面影平野
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