【フリーダ・カーロ】について(1907~1954)その2
1925年、フリーダの肉体をバス事故という2度目の受難が襲う。
生死の境を彷徨う重症で又もや3ヶ月もベッドの上の生活を余儀なくされる。
その後遺症で背中と右足の痛みを紛らわせるためにフリーダは
更に絵画に没頭し作品を増やして行く。
メキシコ共産党に入党する。
そこでディエゴ・リベラに絵を見せたところ彼は彼女の作品を絶賛し
二人の距離は縮まり芸儒家同士の深い絆で結ばれ21歳の歳の差にも
関わらず結婚。
フリーダは身体的ハンデを負いながらも美貌に恵まれいたので
巨漢のリベラに、ひとは彼等を”美女と野獣”と噂したという。
リベラはキュビズムの影響を受けたメキシコ民族画家として売れに売れ
本国や米国の建物の壁画を依頼され国内外を旅する様になる。
その間にフリーダは妊娠するも事故の後遺症で流産し、それらの
苦しみを作品として残す。
更に夫リベラがフリーダの妹と不倫し、彼女との関係は破局する。
しかしフリーダも米国滞在中、女性写真家ジョージア・オキーフとの
同性愛が知られている。
彼女は共産主義者であったから当時、ロシアを追われたトロッキー夫妻を
メキシコの自宅に住まわせたが、その間にもトロッキーと不倫関係という
奔放な女性であった。
まさに歴史上の重要人物と肉体で会話し又それを情熱的な色彩や
構図で作品に落とし込むという類稀な芸術家であった訳である。
0 件のコメント:
コメントを投稿