2025年5月3日土曜日

マーロン・ブランド(1924~2004)
NHKの”ファミリーストーリィー・佐藤浩市”を観て
彼の父親・三国連太郎の人生というか女性遍歴は凄いなあと思ったが、
もっと滅茶苦茶な奴がアメリカに居た。
出演した作品は何も当時の社会状況を反映した話題作 ばかり
それを挙げたら枚挙にいとまが無いから割愛するが
三国連太郎と共通するのは”恋多き男”という所。
正式に結婚したのは3人だが、パートナーとしたのは数知れず
中には同性のジェームス・ディーンも居たと言うから驚き
ケネディ大統領兄弟とも寝ていたマリリン・モンローは
早めにマーロン・ブランドともデキていた。
日系女優レイコ佐藤とは1950年代序盤に出会っている。
 女性ジャーナリストのドロシー・キルガレン、
アリアン・"パット"・クインという女性は知らないが
「革命児サパタ」の撮影でメキシコ女優ケティ・ブラド
(S・ペキンパーの「ビリーザキッド」で夫の死を見送る妻役)に出会い、
その関係は彼は自分で監督した「片目のジャック」まで続いたとか。
1954年には「ウエストサイド物語」のリタ・モレノを妊娠させ、結局リタ・モレノは捨てられ、
その間にも19歳のフランス女優ジョサン・マリアーニと婚約したが
、二股かけていたインド系ハーフ女優アンナ・カシュフイと最初の結婚。
しかし彼女の間に息子クリスチャンが出来ると離婚。
再びメキシコ系女優モヴィタ・カスタネダと再婚。
二人の娘が生まれたが その後、「戦艦バウンティ」で共演した
タヒチの娘タリータと 再再婚、
当時彼女は20歳
マーロンとは18歳年下であった。
二人の結婚は10年続き、その間に出来た二人の子供達の為
彼は私財でタヒチに学校を建設した。
他にも、いつから続いて居たかわからないが身近なところで
家政婦のマリア・クリスティナ・ルイスとは長い関係を続け、
間に生まれた3人の子供を認知している。
アフリカ系コメディアンのリチャード・プライアーとも
性的な関係にあったとの証言もある。
ねっもう、彼の性癖は訳わかんないでしょう?
まあ、相手が男性の場合、女性と違い、
顔が似た子供が出来てない訳だから、
何処まで本当か嘘か分からない。
日本ロケの映画「八月十五夜の 茶屋」で共演した清川虹子は
マーロン・ブランドに追いかけられたと後年自慢していた。
”でも私には伴淳三郎という亭主が居たから断ったのよ”と。
ここまで書いて気付いたのは、 マーロン・ブランドは
肌が浅黒く、いわゆる濃い顔の女性が好みだったのかな?

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