左卜伝(1894~1971)
生で彼を見たのは三国蓮郎主演の「無法松の一生」(1958)が
私の故郷・栃木県・栃木市の土蔵を、九州小倉に見立てたロケに
彼が来た時だった。
既に日本映画・屈指の老け役として豊田四郎の「白夫人の妖恋」
黒澤明の「どん底」等で、その特異な風貌は、私も知って居たから
珍しい映画のロケに町中の人が集まって居た撮影現場から
少し離れた川沿いを杖をついて飄々と歩く老人が
左卜伝、其の人と気付くのに時間は掛からなかった。
その後も小林桂樹の「裸の大将」森繁久彌の「駅前シリーズ
加山雄三の「若大将シリーズ」から当時の”5社協定の制約”なんのそので
松竹で大島渚の「太陽の墓場」今村正の「にっぽんのお婆ちゃん」
山田洋次の「運が良けりゃ」「男はつらいよフーテンの寅」
大映では「座頭市」から「ガメラ」まで
東映で高倉健さんの「昭和残侠伝唐獅子仁義」と
日本映画で老婆と言えば北林谷栄、老人ならば左卜伝という位であった。
しかし、彼の”地”のような自然な演技も
彼の長いキャリアを知れば納得が行く。
帝劇歌劇部のオペレッタに始まり、舞踊は新宿ムーランルージュへ
戦前戦後とシリアスな芝居の劇団も幾つか経て
今井正の「女の顔」で55歳で銀幕デビュー
山本嘉次郎の「脱獄」の演技が黒澤明の目に止まり「醜聞」
「どん底」「赤ひげ」では作品のコアとなる存在感のある演技を見せた。
そして、その実像は”変わり者”として他の俳優とは付き合わず
謎に満ちて居たが、彼が亡くなった後、妻の糸が書き残した
随筆「奇人でけっこう・夫 左卜伝」に寄れば正に
妻と二人三脚の”マイ・ペース人生”であった事が分かる。
晩年、そのキャラクターを買われ、
レコード「老人と子供のポルカ」が馬鹿当たりしTV等
頻繁に登場して茶の間のおじいちゃんアイドルになったが
彼自身は少しもマイペースを崩さず
危篤の時、妻の糸さんが彼の本名”一郎さん!”の呼びかけに
”は〜い!”と答えたのが最後の言葉だったという。享年77歳。
私も今日で彼と同じ歳。もう暫く”マイペース”でやりますか?
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