2021年1月22日金曜日

「勝ってにしやがれ」と「ギターを持った渡り鳥」
此の2作品に共通するのは制作されたのが1959年というのみ。
此れを続けてオンエアしたBS-2の意図は何か?と
考えさせられる全く作風の違う映画だ。
片や世界映画史に残るフランスのヌーベルヴァーグの名作。
に対して、♪昔の名前で出ています〜の
小林旭をアサヒと呼ばれてしまうスター主演の歌謡映画。
比較するのも何だが・・・。
先ずはJ・L・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」
ジャン=ポール・ベルモンド主演
もう何度も観て、そのカメラワークの新鮮や
音楽の使い方、編集の巧さが素晴らしいのは
ゴダールの劇映画デビュー作ながら
カイエ・デ・シネマの評論家として
膨大な映画を研究していたからであろう。
それに比べ
「ギターを持った渡り鳥」であるが監督は斎藤武市
松竹で小津安二郎の助監督を経て日活に移籍
この前に13本近くメロドラマを撮っている。
それがペギー葉山の歌謡映画「南国土佐を後にして」が
小林旭で当たり、その続編のように此れは作られた。
思えば日活は
石原慎太郎の「太陽の季節」「狂った果実」を映画化し
ゴダールと同じヌーベルヴァーグのトリフォーをして
日本に新しい映画が生まれていると評価されている。
なのに此の「ギターを持った渡り鳥」はどうだ。
アキラで「大砂塵」の様な西部劇をやりたい気持ちは分かるが
だいたい、カバンを待たずギターだけで北海道をうろうろ
元刑事が、流しの歌手をやっているという設定に無理がある。
監督・斎藤武市の演出が明らかにメロドラマを作っている構成で
私は我慢できずに2、3倍速で飛ばしても筋は分かる。
それに比べ、ゴダールの「勝手にしやがれ」は
何度観ても、見落とした面白いショットの発見がある。
それはゴダールがヌーベルヴァーグの偶然を利用した
即興演出をしているからなのだ。
そこに色褪せない(まあモノクロだが)鮮度がある。
アキラは良い方(正義の味方)で勧善懲悪の結末は見えている。
片やベルモンドは盗む殺すの悪者(ピカレスク)
その酷い男に感情移入させてしまうのが此の映画の魅力だ。
日活が悪者(ピカレスク)映画を作ったのは
此れよりだいぶ経って、今村昌平の「復讐するは我にあり」。

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