2017年12月23日土曜日

中央アジア音楽事情#28バシコルトスタン共和国
Bashkir folk song: "Toman"
今日の曲もバシコルトだがメロディや歌い方が
まるでケルト音楽のクラナドやエンヤにそっくりだ。
それでケルト人について再び調べてみたら
やはり故・司馬遼太郎氏の考察通り、
彼らのルーツは中央アジアだった。
ケルト人の分布
- 紀元前1500年から紀元前1000年
- 紀元前400年
ケルト人は、その後ゲルマン人やローマ人に追われて移動
今の英国ブリテン諸島にまで渡り、ローマの影響を免れ
アイルランドやスコットランドで、その文化は生き残り
又、イングランドのコーンウォールから海を渡り
ブルターニュへ戻ったケルト人は、ブルトン人となった。
そんなわけで、中央アジアのバシコルト人とは
地図の上で重なり、共通のD.N.A.類似性が感じられても、
何ら不思議は無い。
クラナドの此の曲が、私の琴線に触れるように
紀元前のバシコルトの音楽がユーラシア大陸の端から
モンゴル音楽へ、そして海を渡って東洋の端
日本の音楽に繋がっているのを心が感じる。







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