2018年7月13日金曜日

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シン・シサモット:”Summer kisses,Winter Tears”
此のカンボジア歌手を知る日本人は少ないだろう。
私も最近まで、その一人だった。
ドン・シーゲルの西部劇「燃える平原児」の1場面で
プレスリーが歌った此の曲”Summer kisses,Winter Tears”は
隠れた名曲だが、そのカヴァーを探している内に見つけた。
此のシン・シサモットの
何とも鄙(ひな)びた、その甘い歌声は
カンボジアの”Summer kisses=熱い口づけ”を連想させる。
しかし、歌った彼に待っていた運命は
熱帯のカンボジアらしくない”冬の涙”だった。

彼はカンボジア北部出身、医者を志し首都プノンペンへ上京。
幼い頃から得意だったギターと歌で生活費を稼ぎながら
医学の勉強をして、カンボジアがフランスから独立する頃には
彼の歌はラジオで良くかかる程の人気が出た。
それでも看護師の免許は取り、病院で働きながら
歌っていたが、レコーディングした歌は次々にヒット
カンボジアの民謡から、此の様なプレスリーから
いつの間にか押しも押されぬ国民的歌手と成った。
結婚し、子供4人も授かり、
シアヌーク国王夫人の、お抱え歌手の待遇まで受けていた。

しかし1970年ロンノル派のクーデターにより
シアヌーク政権は倒されてしまう。
ロンノル派は彼の人気を、そのままプロパガンダに利用
彼の歌は王室批判や共産主義批判の歌詞に変えさせられた。
生き残る為には彼も、そうせざる得なかったのだろう。
しかし、それもつかの間、
1975年共産軍”クメール・ルージュ”が
プノンペンに入城し、あっけなくロンノル派は倒されてしまう。
クメール・ルージュは極端な原始共産制を展開し指導者は
子供たちに銃を握らせ、大人の医者、学者、芸術家を捕らえ
大量虐殺を行った事で有名な政権だった。
無知な子供の兵士は、捕らえた人が
メガネをかけていたという理由だけで
知識人=反政府と判断し、容赦なく処刑した。
此の時期、100万から200万の人が粛正されたと言う。

世界の音楽の流れには敏感で、プレスリーや
ビートルズのカヴァーもしていた彼も
早い政治の移り変わりには付いて行けなかったとみえ
さすがに持ち歌の再度の歌詞変更は不可能
ロンノル派の広告塔で目立った彼は逃げようも無く
処刑されたらしく、此処でプツリと消息を絶っている。

1978年そのクメール・ルージュも
ポル・ポト政権の失脚により崩壊し、新たに現在の
カンプチア共和国の基となるカンプチア連合政府が発足し
地方に無理矢理、移住させられた人々もプノンペンに戻った。
そしてシン・シモサットの甘い歌声を
今,人々は懐かしんでいると云う。

映画「燃える平原児」は白人の父親と
インディアンの母と間に生まれた青年が
西部開拓時代、争う両者の間で悩み苦しむ悲劇。
マーロン・ブランドが断った役をプレスリーが演じた
名匠ドン・シーゲルの初期の傑作だ。

どちらにしても、時代に翻弄された歌手、そして歌。
此の歌には、そんな哀しさが漂っている様な気がする。

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