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前回の今日の1曲で
ゴダールとトリフォーがカメラマンのラウル・クタールを
共有していたと書いたが
音楽も此のジョルジュ・ドルリューを当時共有していて
2人の、その接近具合がとても興味深い。
トリフォーとゴダールを比較したドキュメンタリーが
出ていて”キネマ通り”で紹介した記憶があるが
最初ヌーベル・ヴァーグの旗手同志として
仲の良かった2人が何処かでライバル意識を持ち、
2人の作風も大きく変わり全く別の道を歩んで行った。
ヒッチコック等、オーソドックな映画文法を
選んだトリフォーに対して
あくまでも映画文法自体に”新しい波”を求めた
ゴダールは、どんどん難解な実験芸術映画へと進んだ。
その分かれ目に成ったのが、此の作品「軽蔑」だろう。
イタリアの官能小説家アルベルト・モラビアの原作を
スタイリッシュなカメラと編集で描いた此の映画は
B.B.ことブリジット・バルドーの肉体も
熟れて崩れる寸前の匂う様な美しさ。
夫役のミシェル・ピコリのフェロモン全開の胸毛
西部劇の悪役ジャック・パランスの米国プロデユーサー
ドイツ表現主義の監督フリッツ・ラング実名出演という
意表をついたキャスティングも面白く
当時、イタリアはミケランジェロ・アントニオーニの
”愛の不毛”シリーズに連なる作品と成った。
ここで特筆したいのがジョルジュ・ドルリューの音楽。
「女と男のいる舗道」の繋ぎと同じバロック形式で
ミシェル・ルグランよりも更に重厚
倦怠期の男女関係を普遍的なテーマにして時を超え
ギリシャ神話のオデッセウスの生還になぞらえた
ゴダールの表現に奥行きを付けていた。
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