2014年6月7日土曜日

三木のり平(1924〜1999)
先に「脱線トリオ」の八波むと志の事を書いた時
白塗りの”切られ与三”役でボケていたのが此の三木のり平。
「ご新造さんへ、女将さんへ」と右手と右足を同時に出す仕草に
笑い転げたのは私だけでなく
あの志村けんがコメディアンを目指すキッカケに成ったとか?
小田豊三著「のり平のパーッといきましょう」によれば
彼は日本橋は浜町生まれの江戸っ子
日大芸術学部、俳優座を経た正統派の俳優の筈だが
三木鶏郎や森繁久彌との出会いでコメディアンに路線を変更
東宝の喜劇映画「駅前シリーズ」「社長シリーズ」で
アドリブの”宴会芸”が人気を博す。
当時は、まったく気付かなかったが
その笑いの奥にサラリーマン縦社会の悲哀が浮かぶ。
そう、此んな人たちが高度経済成長期の日本を支えていたのだ
同じ東宝の舞台「雲の上団五郎一座」では
有島一郎とのコンビが絶妙で
その頃のヴィデオが在ったら是非観たいものばかり。
彼は育った環境(日本橋・浜町)から
日本の伝統芸は観て身体で覚えており
先の「切られ与三」も歌舞伎の所作を完璧に出来た上での
彼のパロディだろう。
その辺りが今のTV芸人との大きな差なのだ。

私の記憶に残るのは山本嘉次郎の「孫悟空」(1959)。
彼の演じた孫悟空は、姑娘役・八千草薫に化けても
(のり平〜八千草〜のり平と変身する)
恐らく,のり平が全部やって見せ
あの八千草薫が、三木のり平の動きをコピーする可笑しさ。

その演技力はコメディだけでなくシリアスな映画でも
遺憾なく発揮され、「ええじゃないか」「楢山節考」「黒い雨」と
今村昌平の映画では不気味な存在感を残した。
森光子の「放浪記」は菊田一夫・作演出の芝居だが
後半は彼が演出家として名を連ねた。
あの名女優・森光子が全幅の信頼を彼に置いていたのだ。

さっきBSでやっていた「社長漫遊記」の
宴会の出し物は”天草四郎”
とにかく、日本の宴会芸?の基礎を作ったのは彼。
彼の「パーッといきましょう」は不滅だ!

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