江利チエミ(1937〜1982)
彼女のキャリアは日本の戦後史そのものだ。
進駐軍のキャンプでジャズの上手な少女歌手としてスタート。
ピアニストの父と軽演劇女優の母から
音感の良さと共に舞台度胸を受け継いだ。
戦後の混乱の中、家族全員の生活を12歳の少女が
父と兄をマネージャーに、歌で支えたのである。
14歳の時「テネシーワルツ」でレコード・デビュー
美空ひばり以来の天才少女歌手と云う触れ込みだった。
同じ様な境遇でデビューした雪村いづみと「三人娘」と呼ばれ
競演した映画「ジャンケン娘」(1955)も大ヒットした。
映画では「サザエさん」(1956)も演じ、その庶民的なキャラクターが
スターというより、身近に感じられるアイドルだった。
歌もジャズだけでなく、歌謡曲、民謡
特に父親と親交の有った柳家三亀松に可愛がられ
都々逸も上手にこなした。
私の記憶に有るのは山本周五郎原作の
映画「ちいさこべ」(1962)で、江戸の大火から立ち直る
健気な下町娘役だ。
此れで京都市民映画祭の助演女優賞を取っている。
とにかく数多くの音楽映画に出演し
舞台も東宝、初のブロードウェイ・ミュージカル
「マイ・フェア・レディ」の
イライザ役で下町の娘が貴婦人に成長する演技が評判を呼び
舞台女優としても高く評価され、多くの賞を得た。
様々なジャンルの第一線で活躍していた彼女だが
当時、東映で中途半端な二枚目を演じていた
高倉健に恋をして、電撃結婚をして皆を驚かせた。
しかし、その幸せも、つかの間
身内の借金を被り、結婚生活も巧く行かなくなり離婚。
その返済に、身を粉にして働き
寂しさから酒に溺れ、身体を壊し、僅か45歳で病死した。
彼女の早すぎる死は多くの人に悼まれた。
その17年後、公開された
高倉健の映画「鉄道員・ぽっぽや」の劇中に
”テネシーワルツ”が流れていたのには泣けた。
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