2022年1月21日金曜日

沢村貞子(1908~1996))
武蔵野美術大学に通っていたので下宿時代は阿佐ヶ谷
それから中野坂上のマンションに越して10年近く住んでいた。
TVの朝ドラが「おていちゃん」だった頃


此の「私の浅草」を読み、下町に漠然とした憧れを持った。
浅草は東武伊勢崎線で栃木から出て来た時の玄関口で
六区など、幾らかは知った街並みだった。
それとその頃、好きだった俳優・小沢昭一の著書
「ぼくの浅草案内」に出てくる旨い店の紹介に
食いしん坊の私は居てもたまらず、浅草へと引っ越した
・・・と前置きが長いが
今日は、そのきっかけとなった”おていちゃん”事
沢村貞子さんの話をしよう。
彼女の父は加藤伝九郎という狂言作者だったという。
弟は後に東宝の俳優となった加東大介。
甥には長門裕之・津川雅彦と芸能ファミリー
いつしか彼女も女優になりたいと築地小劇場の山本安英の元へ
しかし時代は戦争に向かって一気に突き進む国家総動員。
左翼劇団に所属した彼女は治安維持法で
先の俳優・三島雅夫同様、逮捕、留置、刑務所へ。
確か”おていちゃん”にも、そのエピソードは出て来た。
最初の結婚相手は左翼劇場の書記長をしていた俳優・今村重雄
刑務所は10ヶ月の独房生活に転向を約束させられ出所後に
離婚も転向も、又その転向と信念は変わらぬ太々しさ。
地下活動後に再逮捕、懲役3年執行猶予5年の判決で釈放。
その後、父の兄の沢村國太郎(長門や津川の父)の勧めで
映画女優として日活からデビュー
その演技力が認められ、着実に脇役の道を歩む。
昭和11年には、あの俳優・藤原鎌足と結婚(意外な組み合わせ)

日活から東宝と移籍、山本嘉次郎の名作「馬」に出演
終戦直後までは叔父の沢村國太郎の舞台にも出演していた。
昭和21年に10年続いた藤原鎌足と離婚。
京都・都新聞記者の大橋恭彦と恋に落ちたが
彼には妻子が居たため長い間内縁関係であった。
それでも昭和43年に正式に結婚し、彼が亡くなるまで添い遂げた。
その間に映画では「赤線地帯」等で毎日映画コンクール助演女優賞
「警察日記」「女が階段を上がる時」「お早よう」と
日本映画の名作には無くてはならない名脇役であった。
TVドラマにも出ずっぱり「となりの芝生」「花へんろ」
NHKの”おていちゃん”にも特別出演している。
”役者は台詞が覚えられなくなったらお終い”と潔く
平成元年にドラマ「黄昏の赫いきらめき」を最後に
女優業を引退。
横須賀で海を見ながら執筆活動をした後、
87歳で心不全で亡くなった。
”夫の骨と一緒に”の彼女の遺言の通り
相模湾に散骨されたという。
それにしても波乱万丈の”おていちゃん”の人生は凄いですね。


 

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