2016年9月13日火曜日

映画渡世 天の巻・地の巻:マキノ雅弘自伝
私は武蔵野美術大学・商業デザイン科卒だが
4年目の専攻で「映像」という講義があり
講師は大島渚映画の脚本を手がけて居た石堂淑朗氏
当時はグラフィック・デザイナー・ブームだったから
動画=映像に興味を持つ同級生は少なかった。
授業は”エイゼンシュテイン”から始まり”カメラ万年筆”と進み
羽仁進やヌーベル・ヴァーグのゴダール、トリフォーと
解り易く解説してくれたのに同級生は、あまり興味を持たず
どんどん受講生は減り,最後は遂に私だけと成った。
つまりマン・ツー・マンの寺子屋授業だった。
石堂先生も月並みな映画論を教えるのに飽きていたのか
それとも、たった一人きりの生徒を繋ぎ止めようとしたか
当時ブームだったヤクザ映画の”構造と分析”を本気で始めた。
その中で此の”マキノ雅弘”映画の巧さと凄さを
教えてくれたのが、私の学生時代の印象に強く残った。
そんな訳で、此の本が出版された昭和52年、直ぐ購入した。

マキノ雅弘は”日本映画の父”と呼ばれた牧野省三を父に持ち
早くからサイレントからトーキーと監督として
膨大な数(261本)の作品を残している。
中には和製オペレッタの「鴛鴦裏合戦」
「血煙高田馬場」等の名作も在る。

”1にスジ(脚本)2にシバイ(演技)3にヌケ(映像)”
とはマキノ雅弘の考える良い映画の基本だ。
その具体的な例を、珍しくオンエアされたヤクザ映画
「日本侠客伝」から解説してみよう。
此の作品は「日本侠客伝」の第一作にして
高倉健を名実共にスターにした記念碑的なものである。
まず”スジ(脚本)”から
まず、脚本・笹原和夫は後に「仁義なき戦い」に続く
東映ヤクザ路線のレールを引いた人である。
ヤクザ映画の”構造と分析”からすると
主人公はヤクザながら、生き方はヤクザでは無い。
ヤクザの”義理と人情のしがらみ”に
我慢に我慢を重ねるが、最期に堪忍袋の緒が切れ
「それじゃ世間のスジが通らねえ!」と
非道の限りを尽くす相手に”落とし前”を付ける。
これが全11作も続いた此のシリーズの基本的なパターンだ。
それをマキノは、シバイ(演技)
つまり役者の演技で魅せる。
当時、高倉健は美空ひばりの相手役、ニヤケていて
日本刀を持たせても野球選手のバットにしか見えなかった。
マキノは彼に本来のヤクザの有るべき”姿”を教え仕込み
それが俳優・高倉健の死ぬまでのスタイルとなった。
「自分は不器用なもんですから・・・」と。
だから、此の映画「日本侠客伝」に、高倉健の遺作
「あなたへ」までの表情、全てを観る事が出来る。
特に、此れから死を決意して殴り込みをかける前
彼が想いをよせる娘(藤純子)に別れを告げず
見送る時の表情は何とも云えず、男の美学として素晴らしい。
此処で”高倉健”が誕生し、完成したのだ。

話は戻るが「映像」の授業で石堂淑朗先生は
藤純子は素人だったので、マキノ雅弘監督は彼女に
「下を見て、下駄で”のの字”を書いてごらん」と
それが恋人(高倉健)を待つ、若い娘の仕草になったと
マキノ演出の1つを教えてくれた。
此の時は、私も自分がCMディレクターに成るなど
思いもよらなかったが、後に素人を演出をする時
”シバイを入れる”のに、とても役に立った。
此の映画には藤純子の”シバイ”の全ても窺える。
マキノは日本舞踊の基本も学んでいて
自分で、それを演じて役者に見せたと言う。
だから組の親分の女房役、藤間紫(藤間流の家元)の
”シバイ”は完璧で、人形浄瑠璃の美しさ。
それと、ポスターには健さんより前に中村錦之助が在るが
彼は此れを最期に一切、時代劇のヤクザ以外には出なかった。
でも彼の古いヤクザの”シバイ”は流石で
名作「関の弥太っぺ」を彷彿とさせる。
死に行く前の女房(三田佳子)との別れの
水杯(さかずき)の場面は涙無くして観られない。
余談だが、私がCMディレクターとして
演出した三田佳子もマキノ監督から徹底的に
”受けのシバイ=日本女性の理想型”を学んでいたのだ。
だから現場は”あ・うん”の呼吸で楽だった。
良く観ればマキノ雅弘のヤクザ映画は
”男の意地”だけでなく
それに振り回された”女の哀れ”も描いて居た事が解る。

そして最期に”ヌケ”(映像)だが
大正時代の深川木場を再現したオープンセットが凄い
河に橋まで掛かり、まるで倉敷の町並み。
此の頃の日本映画の勢いを感じる。
映像はスタジオが殆どだから、照明が”ヌケ”と言うにはフラットだが
使ったフィルム ”FUJI カラー”が今や退色して
宮川一夫の「おとうと」の”銀流し”の様に
独特の味わいを出している。
やっぱり、ヤクザ映画は此の色でなくちゃ!
彼の作品はプログラム・ピクチャーと呼ばれ
商業目的の大衆娯楽映画だったが
殆どがヒットし、シリーズ化された。
カンヌやベネチア映画祭の賞こそ取れなかったが
”マキノ雅弘”は日本映画史上に確固たる地位を締めている。
それは映画の魅力、そして俳優の魅力を引き出した監督として!

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