サタデー・ナイト・フィーバー (1977)
今更、何で此の映画なの?と思われるだろうが
TSUTAYA の中古セール棚に置いてあった此れに
”監督ジョン・バダムの解説付き”とあったので購入。
私は此の映画を、その昔、米国ロケ中
周りが砂漠のアリゾナ州の映画館で観た。
その頃、日本では話題にもならなかったポスターの
トラボルタの、あのポーズに惹かれるものがあった。
果たして観た後、映画館を出る頃は
「昭和残侠伝」を観た後、健さんに成り切る様に
トラボルタ・ウォークをしていたのを思い出す。
監督ジョン・バダムはTVドラマ出身
此れ以降「ウォーゲーム」「ショート・サーキット」と
ヒットを連発し、売れっ子監督に成ったが
此の作品は劇場用映画デビューであった。
それからだいぶ経った25年後の彼のDVDの解説は
世界的に成功した此の映画が
実は低予算に苦しんだ様子が語られている。
しかし、それ以上に此の映画の脚本を書いた
ノーマン・ウェクスラーの狙いが
ブルックリン橋で隔てられた
マンハッタンとブルックリンの階級差
つまり富裕層と労働者層を描いたものである事を
指摘している。
それは、古くはヴィスコンティの「若者のすべて」
トニー・リチャードソンの「土曜の夜と日曜の朝」に
連なる”怒れる若者たち”の青春群像を描いたものなのだ。
今、観ても間抜けな顔のトラボルタは
下町の塗料屋店員として浮かばれない下層階級。
そのイタリア系の家族は兄が、一家の誇りであった牧師を
突然止めてしまうし、トラボルタの仲間も
毎日、セックスと喧嘩以外考えていないチンピラ
社会の落ちこぼればかりなのだ。
土曜日の夜にダンスで発散しなければ
若さを持て余し、暴走し死んでしまうのだ。
そのやり切れない”暗さ”と、ディスコの”華やかさ”を
見事に対比させたのが監督ジョン・バダム。
そして映像だけでなく
オーストラリア出身のビージーズの音楽を
当時のMTVの様に映像とシンクロさせたから
彼等の曲、使ったもの全てがビルボード・ホット100
にチャート・インし、トップが6曲もあった。
其れくらい当時の若者の心を掴んだのだ。
トラボルタはミュージカル映画「グリース」にも主演し
アイドルとして絶頂を極め、その後低迷したが
タランティーノの「パルプ・フィクション」で
アクション・スターとして返り咲き
その中で再び得意のダンスを披露して
それからは”怪優”の域に入った。
此の作品は青春映画として完成度が高いが
その時代を描いたエポック・メイキングとして
カルト的な存在に成っているのは
トラボルタの”白いスーツ”が今、スミソニアン博物館に
展示されている事で証明されよう。
しかも、それは所得の低い彼等でも買える
いわゆる”吊るしの服”だったのが面白い。
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