ワゴンマスター急げよ幌馬車:小坂一也
成城学園を高校で中退した小坂一也は1952年
カントリーウエスタンのバンド”ワゴンマスターズ”に参加した
デビュー曲は、そのまんま「ワゴンマスター」(1954)だった。
その甘いマスクと声に人気が出て、たちまち国民的アイドルとなった。
彼独特の歌唱法は米国カントリー・ミュージックのスタイルだったが
「北風」「モンタナの月」「テキサスの黄色いバラ」のカヴァーを
英語と日本語と、ごちゃ混ぜにした歌詞は理解しやすく
日本のポップス音楽の先駆けと成った。
米国本土でカントリーにソウルを混ぜたエルヴィス・プレスリーが
ロックン・ロールを生み出したのに伴い
日本でもカントリーとロックンロールの境目が曖昧に成り
”ウエスタン・カーニバル”成るものが日劇(今のマリオン)で
行われ、当時の若者たちを熱狂させた。
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