2013年1月25日金曜日

(日本映画・女優編)
三益愛子(1910~1982)

彼女を観たのはテレビの舞台中継「がめつい奴」だ。
それは1959年昭和34年だから私は13歳の時になる。
東京オリンピックの前年、まだ日本が高度経済成長以前
国民が皆ハングリーで”ケチで何故悪い!」と開き直った
菊田一夫原作演出の此の舞台は子役の中山千夏の好演も有り
上演回数371回、ロングランのヒットとなった。

しかし彼女の履歴を遡ると戦前の昭和7年
榎本健一の劇団「笑いの王国」から始まっている。
当時、飛ぶ鳥を落とす人気のエノケンを相手に
劇団の看板女優となり、映画舞台と活躍したが
直木賞作家の川口松太郎との間に子供を産み(川口浩)
未婚の母として育て、戦後1951年まで入籍できなかったという。
しかし川口が大映の専務取締役として就任すると共に
大映のいわゆる”母もの”映画が大ヒットし
10年間でナント33本ものシリーズが作られた。
つまり戦前戦後の動乱の時代を生きて来た世代の辛酸を
此れでもかと彼女が演じる事により
観客は、泣くという浄化作用でカタルシスを得たのだろうか。




望月優子(1917〜1977)
先の三益愛子と同じく”母もの”映画で観客の涙を絞ったのが此の女優。
デビューも三益と同じく戦前のムーランルージュ新宿座と
ボードビルの舞台出身、戦後は滝沢修の劇団民芸に参加。
映画は松竹と契約し「日本の悲劇」「おふくろ」「荷車の歌」と
木下恵介や成瀬巳喜男に小津安二郎そして山本薩夫など
名匠たちの作品の中で
三益愛子とは違う日本の貧しい泥まみれの母親を演じた。
苦労した割りには報われず、子供に裏切られる無知な母親役は
三益愛子のそれより現実的で、観ていて
私は、やるせない気持ちにさせられる事が多かった。
しかし彼女自身は演じた役とは裏腹に
1971年の参議院選で社会党から出馬し当選。
落選した1977年まで代議士を1期務めた才女であった。






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