(日本映画・女優編)
三益愛子(1910~1982)
彼女を観たのはテレビの舞台中継「がめつい奴」だ。
それは1959年昭和34年だから私は13歳の時になる。
東京オリンピックの前年、まだ日本が高度経済成長以前
国民が皆ハングリーで”ケチで何故悪い!」と開き直った
菊田一夫原作演出の此の舞台は子役の中山千夏の好演も有り
上演回数371回、ロングランのヒットとなった。
菊田一夫原作演出の此の舞台は子役の中山千夏の好演も有り
上演回数371回、ロングランのヒットとなった。
しかし彼女の履歴を遡ると戦前の昭和7年
榎本健一の劇団「笑いの王国」から始まっている。
当時、飛ぶ鳥を落とす人気のエノケンを相手に
当時、飛ぶ鳥を落とす人気のエノケンを相手に
劇団の看板女優となり、映画舞台と活躍したが
直木賞作家の川口松太郎との間に子供を産み(川口浩)
直木賞作家の川口松太郎との間に子供を産み(川口浩)
未婚の母として育て、戦後1951年まで入籍できなかったという。
しかし川口が大映の専務取締役として就任すると共に
大映のいわゆる”母もの”映画が大ヒットし
10年間でナント33本ものシリーズが作られた。
しかし川口が大映の専務取締役として就任すると共に
大映のいわゆる”母もの”映画が大ヒットし
10年間でナント33本ものシリーズが作られた。
つまり戦前戦後の動乱の時代を生きて来た世代の辛酸を
此れでもかと彼女が演じる事により
観客は、泣くという浄化作用でカタルシスを得たのだろうか。
此れでもかと彼女が演じる事により
観客は、泣くという浄化作用でカタルシスを得たのだろうか。
苦労した割りには報われず、子供に裏切られる無知な母親役は
三益愛子のそれより現実的で、観ていて
私は、やるせない気持ちにさせられる事が多かった。
しかし彼女自身は演じた役とは裏腹に
1971年の参議院選で社会党から出馬し当選。
1971年の参議院選で社会党から出馬し当選。
落選した1977年まで代議士を1期務めた才女であった。
0 件のコメント:
コメントを投稿