ミヤコ蝶々(1920〜2000)
彼女は女優というより漫才師として関西の喜劇界を
リードしていたのは周知の事実。
しかし生まれは東京・日本橋の小伝馬町だとか。
芸事が好きな父親が芝居一座を起こし、
全国を回り、その舞台に7歳から立ったという。
さまざまな芸(漫才、喜劇、女剣舞、バレエ、三味線)を
実践で覚え、一座を解散した後、吉本興業に入って
落語家・三遊亭柳枝と出会い、結婚はするも夫の浮気で別れ
その弟子(後の南都雄二)と再婚、「上方トンボ」という名の
夫婦漫才コンビでラジオ、テレビの「夫婦善哉」で人気を得る。
しかし彼女の”男運”は悪く、絶えず夫のヒロポン中毒、
女癖の悪さに泣かされ、事実上は離婚したままコンビを続けた。
映画「にっぽんのお婆ちゃん」を機に女優としての場を広げ
私には山田洋次の”寅さん”シリーズ初期で
「しょうも無い、やっちゃな」と云うセリフに象徴される
大阪の母親役のさっぱりした演技が面白かった。
喜劇以外でも今村昌平の「復讐するは我にあり」で
殺人犯・緒形拳の母親役がシリアスで不気味だった。
晩年、体調を崩したまま舞台公演したドキュメンタリーは
その恵まれなかった人生からか、付き人すら信用せず、
正に”芸の虫”の生き様は凄まじく哀れだった。
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