”忘れ得ぬ店 その3 天ぷら蕎麦の大三
上の写真は、ありし日の店の外観と名物だった天ぷら蕎麦。
その店は浅草寺の裏、千束通りの中程、吉原の入口へ曲がる角に在った。
その店は浅草寺の裏、千束通りの中程、吉原の入口へ曲がる角に在った。
地元では知る人ぞ知る名店として人気が有り、
私も浅草へ引越した直後、人伝てに聞いて出かけた。
その前に何故、私が浅草に住もうと思ったかの話しをしよう。
その前は中野坂上の大久保通りに10年住んだが、
それは最初に勤めたCM制作会社が新宿御苑前で新宿も途中に有り、
遊ぶのにも何かと便利だったから。
しかしその後、会社を辞めた何人かでフリーになり
新しく始めた会社が外苑前で新宿を経由しなくても良くなり、
そして、その頃TVの朝ドラでやっていた沢村貞子の「おていちゃん」に
描かれた下町浅草に憧れたからである。
それにもう一つ、小沢昭一著の下町案内に登場した
美味いモノの店に涎が出たからである。
更に見逃した映画、ヤクザ物、洋画の三番館四番館が
六区の通りに当時は沢山在ったのも私には嬉しい事だった。
まあ、もう一つ近くに嬉しいものが有ったが、それは内緒。
話しを大三に戻すが、
その頃、その店は禿げて太った親父が大きな海老の天麩羅を揚げ、
それを同じく女性にしては体格の良い女将さんが
茹で上げたばかりの手打ち蕎麦にジュッと載せ、手際よく運んでいた。
それには季節を問わずシャキッとした三つ葉と柚子の皮が必ず入り、
その味は、それまで食べていた天麩羅そばの概念を
遥かに超えるものであった。
そして夏場の冷やしたぬきは
その海老の天麩羅の香りの残る揚げ玉を使い、
程良いタレの甘さは何と言おうか。
此の二品を迷った挙句、両方食べる習慣になってから
此の二品を迷った挙句、両方食べる習慣になってから
私の腹は急激に出て来た様な気がする。
そして品書きには無いが、店が混んで居ない時、
作ってくれる天麩羅定食の天麩羅の揚げ具合は
並の天麩羅屋を超える旨さ。
そしてお吸い物に季節野菜の糠漬けは完璧で有った。
噂では親父さんは先妻を亡くし男やもめで、
噂では親父さんは先妻を亡くし男やもめで、
直ぐ近くで居酒屋をやっていた女将さんの処に
客として通っている居る内に2人はデキて一緒になったらしい。
その頃は親父さんも店の奥にドーンと座り、
その頃は親父さんも店の奥にドーンと座り、
三社祭のカンカン帽と浴衣に半纏姿は、
何処かのビールのポスターに使われる程、
鯔背で格好良かった。
それから暫くして親父さんは亡くなり、
それから暫くして親父さんは亡くなり、
残された女将さんが代わりに天麩羅を揚げ、
気の利く女店員2人と店をきりもみして店の味は保たれた。
元々、女将さんがやって居たのは料理の上手い居酒屋だったらしい。
それから暫くは此の店は続けられ、
それから暫くは此の店は続けられ、
鳶の親方などの常連客も顔馴染みとなり、
ひを、しと発音する落語の様な下町言葉が味わえる店でも有った。
しかし店を手伝う女性達も高齢化し、
どんどん女将さんの背中が曲がって行くのがとても気になっていた。
そしてある日突然、女将さんは店をたたんでしまった。
此れには私も戸惑って、
気持ちの整理が出来ないまま今に至って居る。
諦められないのだ。
嗚呼、愛しの天麩羅蕎麦、冷やしたぬきよ。
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