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いよいよ此のシリーズの目玉
ペレス・プラードの登場。
”タブー”も此のマンボ・アレンジが無かったら
日本のストリップは陰気な”ハーレム・ノクターン”が
主流だったから、劇場も活気づかなかったろうし
主流だったから、劇場も活気づかなかったろうし
加藤茶の「ちょっとだけよ!」も流行らなかったろう。
とにかくキューバ人なのに日本人と同じ様な胴長短足
(良く見れば靴が凄いハイヒールだ)
(良く見れば靴が凄いハイヒールだ)
ウ〜ッ、アッ!と掛け声を入れ
更に短い足を強調する様な仕草は
今観れば、何とも懐かしく微笑ましい。
来日公演は数知れず、地方の公民館まで
ドサ周りしてくれたのは、エレキのベンチャーズと良い勝負。
耳の遠い田舎の爺さん婆さんまで
ラテン音楽ファンにしてしまった。
ところで
1940年後半、世界的なブームとなった”マンボ”だが
彼が発明したのではないらしい。
ルンバにジャズの要素をプラスしたものが
革命以前のキューバで大流行し
それをペレスが、いち早く楽団に導入し成功した。
踊って指揮する彼のパフォーマンスは、
ダンサー抜きでもステージが盛り上がり
どんどんエスカレートして行った様だ。
彼は積極的に世界マーケットを意識し
本拠地をキューバからメキシコ・シティに移し
米国本土や日本も含む
海外の演奏旅行で、更に数々のヒット曲を生む
という商才も有ったのだ。
耳の遠い田舎の爺さん婆さんまで
ラテン音楽ファンにしてしまった。
ところで
1940年後半、世界的なブームとなった”マンボ”だが
彼が発明したのではないらしい。
ルンバにジャズの要素をプラスしたものが
革命以前のキューバで大流行し
それをペレスが、いち早く楽団に導入し成功した。
踊って指揮する彼のパフォーマンスは、
ダンサー抜きでもステージが盛り上がり
どんどんエスカレートして行った様だ。
彼は積極的に世界マーケットを意識し
本拠地をキューバからメキシコ・シティに移し
米国本土や日本も含む
海外の演奏旅行で、更に数々のヒット曲を生む
という商才も有ったのだ。
さて、明日はペレスと双璧の日本贔屓というか
日本で儲けたベンチャーズの”タブー”へ。
日本で儲けたベンチャーズの”タブー”へ。
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