番外・スペクタクル映画
地獄の黙示録(1979)
戦争映画は様々な兵器を使い、大勢の人間が戦うから
それ自体すべてがスペクタクル映画に成ってしまうが
「史上最大の作戦」に始まり
「戦場に架ける橋」「ナバロンの要塞」「大脱走」と
映画を作る側の立場で敵と味方がハッキリしている。
それも歴史的に戦勝国側の手柄話として。
しかし此の映画は”ベトナム戦争”
明らかに作ったアメリカは戦敗国だ。
だから監督フランシス・フォード・コッポラが
描いたのは戦争そのものではなく
その戦場で狂って行く、様々な人間の有様だ。
ジョセフ・コンラッドの小説「闇の奥」を基に
ジョン・ミリアスとコッポラが共同で書いたシナリオは
数々の寓意を含み、とても複雑で難解。
大資本をかけた学生映画だという辛口の批評も有る。
一応シナリオの大筋は、こうだ。
カーツという名の大佐が戦争の最中、米軍から離れ
カンボジア国境に部下を連れて自らの帝国を作ってしまった。
敵でも味方でもない脱走兵の組織という事に成る。
それでは米軍のメンツが立たないので
彼を殺す事を密かに軍が企てる。
その彼の暗殺を命じられた1人の若い大尉が
何人かの兵士を率いて小型の船で、戦争まっただ中の
ジャングルの河を遡り、その帝国へ向かう。
途中で目にするベトナム戦争の現実
兵士達の慰問に本国からプレイメイトをヘリで呼び
それぞれのエピソードを莫大な予算をかけ再現した
監督コッポラこそが ”カーツ大佐”だと告発した
コッポラの女房のメイキング映画もある。
撮影中、本物の台風で破壊されたロケ・セットが
此の映画の規模が半端でない事を伝える。
しかし何より凄いのはマーロン・ブランドの存在感。
妖怪の様に太り、闇の中で頭を洗うシーンは
生け贄に水牛の頭を鉈で切り落とす場面より気味が悪い。
カメラマンのヴィットリオ・ストラーロは
此の映画を”オペラ”として撮ったと云うが
確かにジャングルの中のカーツ大佐の帝国が
ドアーズの”ジ・エンド”の曲で
空爆で燃え上がるのは
大勢のコロス(合唱団)を並べた舞台がフィナーレで
バラバラの屋台崩しになるのに似ている。
0 件のコメント:
コメントを投稿