2014年4月17日木曜日

フランキー堺(1929~1996)
先日、川島雄三の作品を調べていたら
彼の事を此処で取り上げるのを忘れていた事に気が付いた。
日本映画史もしくは俳優史を語る上で彼の存在は大きい。
生まれは鹿児島の士族の家系
中学の時には家族で上京し、私立麻布中学から慶応大学
というコースを辿ったお坊ちゃんだが
時は太平洋戦争・戦前戦後のドサクサ。
それでも中学同級生の小沢昭一、加藤武などと同様
彼には生活力があり、終戦直後の闇市を自由に生きて
進駐軍巡りのジャズ・ドラマーから俳優へ
だから身体の動きは、その名の通り
”フランキー=軽妙”で、独特のリズム感を持っていた。
彼を最初に観たのは映画「牛乳屋フランキー」(1956)
私は10歳の時だ、可笑しくて笑い転げたのを覚えている。
その後、先の川島雄三の「幕末太陽伝」(1957)
そして佐伯幸三の「幽霊繁盛記」(1960)
どちらも「品川心中」「死神」と落語がネタになっている。
そう、彼はドラムと同様、落語も桂文楽に弟子入りした
桂文昇という芸名のプロだ。
だから、鹿児島生まれでも
落語の”江戸ことば”を粋に使えた。
「駅前シリーズ」や「社長シリーズ」で
森繁や三木のり平と組んでコメディアンの印象が強かったが
TVの「私は貝になりたい」(1959)で、シリアスな演技が
高く評価された。
当時の日本映画会社は”五社協定”なるもので
俳優を縛ったが彼は、そんなもの何処吹く風と
日活、東宝、松竹、大映と自由に出入りしていた。
映画がTVに食われ、斜陽になれば、TVに活路を広げ
大河ドラマにクイズ番組と活躍した。
TVドラマで私の印象に強く残って居るのは
向田邦子の「あ・うん」(NHK)で水田千吉役
杉浦直樹と吉村実子とのアンサンブルが完璧だった。
山頭火を演じた早坂暁の「何でこんなに淋しい風がふく」(NHK)
衰えた風貌を生かした彼の山頭火は味が有った。
中村吉右衛門の鬼平シリーズ「盗法秘伝」での老盗賊役
此れは”鬼平”の中でもベスト-5に入るだろう。
此の作品では「幕末太陽伝」で披露した
”佐平次の羽織の宙とばし”を
自らパロディにした面白い場面が観られる。
しかし彼は、当時の日本映画衰退を憂い
故・川島雄三監督との「次は写楽をやろう!」の約束に
こだわり、脚本にも参加し、私財を投げ打って
篠田正浩・監督で「写楽」(1995)を作ったものの
その1年後に亡くなっている。
昭和という時代を”居残り佐平次”の様に
飄々と駆け抜けたミュージシャン、タレント、俳優。
一度、落語の好きな監督・山田洋次と組ませてみたかった・・・。

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