増村保造の世界
彼は日本映画界では珍しいイタリア留学の経験を持つ監督だ。
黒澤明の「羅生門」(1950)がベネチア映画祭で
グランプリを得たので,当時の大映の社長・永田雅一が
国際的な感覚を養わせるべく社員監督だった増村を
イタリアはチネチッタ撮影所に派遣したのだ。
当時・興った”イタリアン・ネオリアリズム”を助監督として
ヴィットリオ・デ・シーカやビスコンティから直に学んで
日本に戻った彼は、古巣・大映に期待されて迎えられ
それに答え、当時・新人女優の若尾文子を起用し
それまでに無かった新しい日本女性像を描く作品を創り
彼女を大映のトップ女優にした。
それ以外にも日本文学の中でもユニークな題材を選び
見事に映像化した才能はイタリア留学から得たものだろう。
その頃の日本映画会社にそんな余裕が有った事は
私は大学の映画専攻授業で脚本家・石堂淑朗 氏から学んだ。
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