2013年11月20日水曜日

モンテ・ウォルッシュ(1970)
サム・パキンパーが「砂漠の流れ者」を撮った同じ年
やはり同様なテーマ、近代化に職を追われた
カウボーイ達を描いた此の映画
どちらもニュー・シネマ・ウエスタンとして評価が高い。
私はだいぶ前に観ていたはずだが
BSでオンエアされたので改めて見直したら
可成り心に響くものが有った。
自分が今、リー・マーヴィン演じる主人公
”モンテ・ウォルッシュ”と年齢が同じになったこともある。
監督は「ローズ・マリーの赤ちゃん」等のカメラマンだった
ウイリアム・A・フレイカーの第一作。
「シェーン」と同じジャック・シェーファーの小説を
元にしているので、カウボーイの男のロマンというか
鶴田浩二の任侠映画の様なカタルシスに酔える。
年老いた流れ者のカウボーイの二人が
昔雇われた牧場に戻って来たら、それは東部の会社に売られて
牧場主は、只の管理人になっていた。
それでもカウボーイしか出来ない二人は雇われる。
リー・マーヴィンとジャック・パランス
此の二人の個性の強い俳優はその個性故に
悪役ばかりで下積みが長かったが
演技は確か、「明日に向かって撃て」の
ブッチ&サンダースを思わせる相棒コンビ。
そのジャック・パランスが、もうカウボーイの時代では無いと
あっさりと足を洗い、金物屋の主人に治まったのをみて
リー・マーヴィンは馴染みの酒場女を思い出す。
寂れた町に見切りをつけ、出て行ってしまったのだ。
此の酒場女をフランスの大女優ジャンヌ・モローが演じる。
外国から西部に流れ着いた元女伯爵という設定は
ジャンヌにとって無理は無く
過去を背中に背負いながら明るく振る舞っている姿は
ジャンヌ・モローの此れまで演じて来た
トリフォーやルイ・マルの映画全ての役が
重なって存在感が滲み出る。
リー・マーヴィンがやっと探して見付けた、その酒場女は
寂しさから酒浸りになり身体を壊している様子。
リー・マーヴィンが「俺はカウボーイしか出来ないが
必ず金を作って迎えに来る」と云うと
「何時までも待っているから」と寂しげに微笑む
ジャンヌ・モローが、何ともいじらしい。
牧場に戻ったら、人減らしで首になった若いカウボーイ達が
金物屋を襲い、ジャック・パランスを殺してしまう。
怒って、彼らを追うリー・マーヴィンに、恋人の危篤の知らせ
駆けつけたが、間に合わない。
「きっと来てくれる」と信じていたという彼女。
いつも髪を切ってくれた彼女のハサミが残された小箱に
・・・泣ける場面だ。
カウボーイ全盛の時代、仲間同士が
意味も無く殴り合い、プライドをかけて荒馬を乗りこなし
仲良く共同生活をしていたはずなのが、時代が変わり
彼らは追いつめられ、殺し合う哀しい結末。
原作も良いが、その情感をニュー・メキシコの
広大な風土の中で丁寧に描いたカメラマンあがりの
監督ウイリアム・A・フレイカーの優しい眼差しが
画面の隅々に感じられる。
音楽ジョン・バリーは此の後
ケヴィン・コスナーの「ネバー・クライ・ウルフ」でも
西部の挽歌を歌っているが、此の映画では
♪ The Good Times Are Coming
いつまでも悪い事は続かない・・と歌う。
それは私の好きな「関の弥太っペ」のセリフと同じ。
辛く哀しい事は早く忘れる事だ。
同じくジョン・バリーはリチャード・レスターの名作
「ロビンとマリアン」にも音楽を付けているが
その作品では、禿げたショーン・コネリーに
あのオードリー・ヘップバーンが皺だらけの恋人
此の映画ではリー・マーヴィンとジャンヌ・モローが
皺だらけのカップル。どちらも”黄昏(たそがれ)の恋”
それをジョン・バリーが謳い揚げる。

ウディ・アレンやイーストウッドの様に
じゃんじゃん撮る多作の監督も入れば
「かくも長き不在」のアンリ・コルピが
たった1作で元の編集の仕事に戻った様に
此のウイリアム・A・フレイカーも此れ1本で
元のカメラマンに戻り、以降監督はしていない。
それでも生涯たった1本でも、此んな素敵な映画が撮れるなんて
なんて羨ましいことだろう。


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