2013年11月15日金曜日

此のサイトは映画やTVの作品の話をしているつもりだが
グラチャン・バレーの裏で録っていた
2つのドキュメンタリー番組の差が余りにも有ったので・・・。
まず先に観たBS-TBS「巨匠たちの輝き」
サスペンスをテーマにヒッチコックと溝口健二を
取り上げ比較していたが
どだい、比較する事自体が無理な2人の監督を並べる事の
イイ加減さと云うか無能な企画者に私は腹が立った。
正味50分を全部使っても語りきれない
両巨匠監督の世界を真っ二つに別け
当たり前の動と静の比較論をした処で何の意味も無い話。
「サイコ」「雨月物語」の内容ならもっと、
それぞれの創作意図を深く探るべきなのだ。
今ならDVDで簡単に手に入れられる映画の場面を
適当に繋げて見せられても
映画には門外漢の画家・日比野克彦司会で
J・ホラーの第一人者とかいう監督・中田秀夫の
コメントも月並みで面白い訳が無い。
もっと対象を研究してから作れ・・・とコキ下ろして

次にBS日テレでやっていた
「昭和偉人伝・寺山修司」について。
偉人というにはほど遠い奇人に近い天才の生涯を
描いたドキュメンタリーだった。
ナレーション國村準の語りも渋く
彼の生まれた青森から、亡くなる晩年まで
しつこく取材して彼と親しかった人々の
インタビューが面白かった。
まず、彼が活躍した時代の珍しいTV番組や舞台の作品を絡め
一番側に居た、妻の九条映子の寺山のエピソードや
美輪明宏(旧・丸山)の劇団・天井桟敷時代の話
早稲田の同級生・脚本家の山田太一や
詩人・谷川俊太郎との交流と
興味は尽きなかった。
彼の文学少年時代から、母親との確執にまで踏み込み
その俳句や短歌そして作詞に詠われた
”寺山修司の世界”を丁寧に描いていた。
肝硬変という持病を持ちながら
昭和元禄と例えられた爛熟期を駆け抜けた時代の寵児。
詩人、歌人、作詞家、脚本家、映画監督、競馬評論家・・と
様々な肩書きに貴方の職業は?と問われれば
「僕の職業は職業は寺山修司です」と答えた彼。
今は故郷・青森県三沢市に記念館が在り
その館長に寺山の最初の映画「書を捨て町に出よう」の
主役の少年、佐々木英明が登場した時は
爺さんになった彼の津軽弁の声が少しも変わってなくて
涙が出てしまった。
ドキュメンタリーは斯く在るべき
視聴者の知らない情報を集めてこそ番組は作られるべきなのだ
同じ時間帯にオンエアされた2つの番組には大差が有った。


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