FITZCARRALDO (1984)
此の映画がやっとDVD化された。
Hi-8,VHSでは持っていたが画像の鮮明な大画面で観たい
という私の夢が、やっと叶った。
その昔、ハンニバルが象でアルプスを越えた様に
その昔、ハンニバルが象でアルプスを越えた様に
320トンの蒸気船がアマゾンのジャングルの山を越える!
今ならC.Gで簡単に作れる映像だが、
当時は実写で撮るしかなかった。
それをやってのけたのは西ドイツ時代の監督
ヴェルナー・ヘルツォーク。
15歳でシナリオを書き,ミュンヘン大学卒業後、渡米
ピッツバーグのデュケン大学に学び
その後、ドイツに戻り、ライナー・ファスビンダー等と共に
ニュー・ジャーマン・シネマ運動の旗手として
「ノスフェラトウ」「アギーレ・神の怒り」と野心作を作り
その後,自らのシナリオをもとに監督したのが此の大作。
前世紀のブラジルにゴム農園を起こし
その利益でオペラ劇場を建設したいという野望を持った男の話。
その男の役に当初はローリング・ストーンズの
ヴォーカル、ミック・ジャガーを考えたらしいが
ヴォーカル、ミック・ジャガーを考えたらしいが
断られ、次に米国の名優ジェーソン・ロバーツで撮影を始めたところ
余りの熱帯の過酷な撮影現場に耐えられず途中で降板。
その後、此の頃”マカロニ・ウエスタン”のスターになっていた
ドイツの怪優クラウス・キンスキーが選ばれる。
彼はヘルォークとは子供時代ミュンヘンでの
ルーム・メイトでもあった盟友であるが
彼はヘルォークとは子供時代ミュンヘンでの
ルーム・メイトでもあった盟友であるが
それも此の体力的にも精神的にも厳しい
労働条件に、キンスキーが何度もキレて、ヘルツォークと衝突、
撮影の継続は危ぶまれたが、何とか、完成させたのが此の作品だ。
とにかくロケ現場がペルーとエクアドルの熱帯密林。
登場したのは本物のアマゾンの原住民。
彼らは”フィッツジェラルド”という主人公の名前を
”フィッツカラルド”と発音するところに
此の映画の題名が由来する。
此の映画の題名が由来する。
ゴム農園を探しアマゾンの奥地を目指すも、行く手を
幾度か激流に阻まれ,止むなく原住民を雇って
人力で蒸気船を山越えさせるに
人力で蒸気船を山越えさせるに
文明も未開、言葉も通じない彼らを
本当に使役したわけだから
本当に使役したわけだから
当然,様々な障害や問題が起こった。
ヘルツォークとプロデューサーは自然環境破壊と
原住民虐待容疑でペルー、エクアドル両国政府から
訴えられたという。
此のメイキングが後にドキュメンタリーとして
「キンスキー我が最愛の敵」という作品となり
製作現場で裸族の原住民たちを前に
激しく罵り合うキンスキーとヘルツォークの
もの凄い、やり取りが一部始終記録されている。
此のメイキングが後にドキュメンタリーとして
「キンスキー我が最愛の敵」という作品となり
製作現場で裸族の原住民たちを前に
激しく罵り合うキンスキーとヘルツォークの
もの凄い、やり取りが一部始終記録されている。
そう、此の映画の制作自体が実に
冒険アドベンチャーだったのだ。
冒険アドベンチャーだったのだ。
それでも此の映画の魅力は、主人公がオペラ・マニアで
原住民の子供たちに蓄音機でオペラ「道化師」を聴かせ
アマゾン河の上がり下りに「ボエーム」、「リゴレット」と
オペラ・ファンには溜らない音楽映画でもあること。
ラストに呼び寄せた愛人に船上でオペラを聴かせる場面が素晴らしい!
此のヒロインをイタリアの名女優クラウディア・カルディナーレが演じる。
娼婦館の女主人でもある此の役は、晩年のカルディナーレの
貫禄ある美しさがハマり、彼女の映画で青春時代を過ごした
私には忘れられないシーンとなった。
180分の大長編ながら、その鑑賞体験が見応えとして
納得させられる時間。
主人公フィッツカラルドの狂気と、
監督ヘルツォークの才気が見事に重なり
監督ヘルツォークの才気が見事に重なり
観る者は壮大なオペラとして此れに魅了させられ
圧倒される作品なのだ。
圧倒される作品なのだ。
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