2013年2月16日土曜日

(日本映画・男優編)
大友柳太郎(1912~1985)
彼を取り上げるのは気が重い。
最期にビルから飛び降りて自殺してしまったからだ。
その昔、私が東映時代劇に夢中だった子供の頃

「怪傑黒頭巾」や「むっつり右門」そして「丹下左膳」と
錦之助や千代之介よりも強いヒーローだった。
彼の役者としてのキャリアは辰巳柳太郎の弟子として
1935年、新国劇から始まる。
翌年、運良く新興キネマの「青空浪士」で銀幕デビュー。
此の時、師匠の辰巳から”大友柳太郎”の名を貰ったらしい。
次に主演した「佐賀怪猫伝」がヒットして一躍スターと成る。
1943年、太平洋戦争に招集を受け満州を転戦する。
終戦で復員するもGHQの政策で時代劇は御法度
直ぐ俳優に戻る事は出来ず不遇の時代を過ごす。
GHQの時代劇禁止令が解除されると共に

1953年東映京都製作の「加賀騒動」で息を吹き返し
続く「怪傑黒頭巾」が大ヒット。
一躍、私を含めた子供達のアイドルとなる。
ラジオドラマの映画化「新諸国物語・笛吹童子」の霧の小次郎役でも
人気が出て、此の頃の東映時代劇・黄金時代の1角を
担う程の稼ぎ頭と成る。
東映初のシネマスコープ「鳳城の花嫁」の主演などは
当時、彼が東映の看板スターであった事を裏付けるものだ。
その後も、東映がヤクザ映画に移行する前、
今でも評価の高い”集団抗争時代劇”と称される
「十七人の忍者」「大殺陣」「十兵衛暗殺剣」で彼は
見事な殺陣の技を生かしている。
しかし、その後は東映自体が時代劇を作らなくなり
仕方なく彼は活路をテレビの大河ドラマや時代劇に求めた。
晩年は現代劇での老人役(「北の国から」等)が多かった。
しかし、その風格は誰にも真似の出来ない存在感を漂わせた。
でも私がショックだったのは自殺以前、

加藤泰の映画「陰獣」で浅草の船着場に沈む水死体を演じた時だ。
役とは云え、本当に水の底でジーッとして居て
「嗚呼、私の黒頭巾が・・・」と声も出なかった。
役者とは惨いものだ、どんな大スターでも歳を取れば
それなりの役しか回ってこない。
生真面目な性格だったと云われる彼は
役者根性で何でも挑戦しただろうが・・・
人生の哀しさを彼に想ってしまう。

0 件のコメント:

コメントを投稿