2013年1月22日火曜日

(日本映画・女優編)
三好栄子(1894〜1963)
此のギョロ目の婆さんは子供の頃観た
映画「路傍の石」(1955)で私の記憶に残った。
我が故郷・栃木市を舞台にした山本有三の小説は3度
映画化されているが、その最初の作品だ。
主人公・吾一をダシにして、何の関係もない葬式の
供物を貰って回る年寄りのサギ女の役だった。
その強引な性格は本物だったらしく
経歴を調べたら何と戦前から松井須磨子を相手に劇団・芸術座を
喧嘩して飛び出したのを皮切りに、次の新国劇では沢田正二郎夫人とも
衝突して飛び出し、関西の宝塚国民座では幹部女優と折り合いが
悪く、その後も次々と劇団を渡り歩き、最後はキャリアを生かして
大阪松竹歌劇団の講師と成っている。
さぞかし女生徒たちには怖い先生だったろうと思われる。
夫が東宝のプロデューサーであったところから
黒澤明の「わが青春に悔いなし」(1946)で遅咲きの映画デビュー。
その特異な風貌と確かな演技力で日本映画の巨匠達の名作に
確固たる存在感を示す。


武智豊子(1908〜1985)
彼女もギョロ目の婆さんとして記憶に残っているが
演じていた役の通り、生まれは台東区・下谷
浅草の榎本健一が主催した「カジノフォーリー」(1929)に
参加したのを皮切りに、小柄な身長(145cm)を生かし
”女エノケン”と呼ばれるまでにコメディエンヌとして活躍する。
そのエノケンの映画「青春酔虎伝」で映画デビュー
その後も舞台と映画を掛け持ちで
ピュンピョンと跳ね回り人気を得る。
独特のガラガラ声を生かし、晩年、上田吉二郎とコンビで
「上吉・豊子のハレンチ・アモーレ」というレコードを出したが
左卜全の「老人のポルカ」のヒットに遠く及ばなかった。
ヤリ手婆役を得意とし「なんならワタシとどう?」と
庶民の大らかな性を笑いに変えて楽しませた。






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