NHKの連続ドラマ「バス通り裏」でデビューした十朱幸代を
同じく東映で監督としてデビューしたばかりの山下耕作が
中村錦之助主演の「関の弥太っぺ」でヒロインおさよ役に抜擢したのは1963年。
その初々しさと可憐さがヤクザの弥太っぺに
堅気の衆に迷惑はかけられないと身を引かせる。
それからどれくらい経ったか1974年
勝新太郎が大映の倒産に勝プロを立ち上げ
映画では出来ない座頭市を作りたい!とTV「座頭市物語」を製作し
此れは、その8話「わすれじの花」
自ら脚本に監督も務めた2作目。
共演者の山城新伍が当時の現場をエッセイ
「おこりんぼ さびしんぼ」に残している。
まず脚本だが、奥村利夫ことカツシンは
話の大筋を役者に話すが台詞は役者のアドリブ任せ。
だから十朱幸代は脚本が無きゃ役作りが出来ないじゃないのと
カツシンに食ってかかったらしい。
でも、その勝気な所を岡場所に身を落とした女の
艶(アデ)な感じとしてカツシン演出は、そのまま生かしている。
その話だが、十朱幸代扮するお菊が
日本橋の若旦那(山城新伍)に駆け落ちを誘われ
地方の宿場町にたどり着いたものの
若旦那は博打好き、ステンテンになり駆け落ち相手の
お菊を女郎に売ってしまう・・・というのは山城新伍のエッセイの話。
でもTV「座頭市物語」には、
その賭場の場面は撮ったらしいが出て来ない。
オープニングは、いきなり十朱幸代扮するお菊が、
峠の枯れ木に帯を掛けて首を吊ろうとするのを
通りがかった座頭市に手伝わせる。
眼の見えない彼は手伝うが途中で気づき”お辞めなさい”と。
その時、足抜けしたお菊を追ってきたヤクザ達を斬って
二人は道行のように他の宿場町へ辿り着く。
そこで彼女は三味線の芸を生かし座頭市は按摩として
町の外れの小屋を借りてまるで駆け落ちした男女かの様に暮らし始める。
お菊の弾き語りを風呂の中で聴く座頭市の束の間の幸せ。
そう言えばカツシンは杵屋勝丸の名で10代の頃は
三味線と長唄を教えていたから十朱幸代の音は本物。
しかし2人の幸せは長く続かない、
山城新伍が又現れてお菊に付き纏い、断られると、
今度はイカサマ賭博をしたばかりの親分のところへ
座頭市とお菊を売りに行く。
此の親分役が高木均。よくぞこんな下品な表情を引き出したな
と思われれる演出。悪役が憎たらしいほど面白い。
兎も角、カツシンは山城新伍の卑怯さを
ムーミンパパでコレでもかと痛ぶる。
お菊が足抜けした宿場のヤクザ達の加勢も加わり、
ラストはお決まりの大立ち回りとなるが
その殺陣の見事さはカメラワーク、照明、美術に編集も斬新かつ流麗で
日本映画界その時期トップレベルの監督であった。
斬り合いの途中で、座頭市を狙う槍使いの浪人から
身を挺してお菊は刺されてしまい。
それを座頭市は両腕で抱え上げて医者へ運ぼうとするが
その途中で満点の星を見上げて、お菊は”明日は晴れだね”と事切れる。
此処で思い出したのは「関の弥太っぺ」の台詞
”この世には辛いことが沢山ある、忘れる事だ
日が暮れりゃ明日になる、明日も晴れるか”
カツシンが山下耕作の「関の弥太っぺ」を観ていたかどうか?
座頭市とお菊の間を、格子や垣根で隔て”触れもせで”と
敢えて武智豊子に二人の下品な勘ぐりをさせてたキャスティングなど
緻密な構成は最後の画面に菊の花を手前に入れた事で
此の「わすれじの花」は勝新太郎の山下耕作「関の弥太っぺ」への
熱いオマージュと見破った。
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