2014年7月9日水曜日

志村喬(1905〜1982)
リマスター版の「ゴジラ」を観て、
そう云えば、此の名優を此処に載せるのを忘れていたと。

彼の映画俳優としてのキャリアはサイレント時代から始まり
伊丹十三の父、伊丹万作の第一回トーキー作品「忠治売り出す」
そして「赤西蠣太」で演技開眼。
マキノ雅弘のオペレッタ「鴛鴦歌合戦」(1939)では共演した
あのデック・ミネに「歌手になれ!」と
云われる位の歌を披露している。
が巧すぎて、監督・黒澤明に
もっと下手に!と云われた訳だが。
とにかく、チョンマゲを付けた彼がリズム感たっぷりに
歌う姿は日本のミュージカル映画の傑作。
機会があったら是非ご覧頂きたい。

戦後、黒澤映画での彼の活躍は素晴らしいものがあり
「一番美しく」から「酔いどれ天使」「静かなる決闘」「野良犬」と
殆ど主役を演じ、先の「生きる」は日本映画史に残る名演となった。
そして更に乗馬や殺陣の彼の身体能力を生かすべく
彼を主役に「七人の侍」。
そこでの黒田勘兵衛役は、負け戦さと解っていながら
冷静沈着な知性、そして熱い闘志で戦う姿勢が
戦後の日本人が失いつつあった”父親の理想像”として描かれた。
話は最初に戻るが、昨夜観たリマスター版の「ゴジラ」は
今観れば、ゴジラのぬいぐるみの動きが緩くて
果たして画面を修正したのが良かったか疑問だが
出演した俳優達のシリアスな演技が”子供騙し”のストーリーに
真実味を与えていた事が良く解る。
特に志村喬の演技は「生きる」と同じ様に丁寧で感心してしまった。
此の後も平田昭彦と一緒に怪獣映画に必ず出ていたのは
重厚な音楽・伊福部昭同様、怪獣映画に風格を持たせる
監督・本多猪四郎の狙いだったと思われる。

主役を”世界のミフネ”こと三船敏郎に譲ったものの、
黒澤作品には必ず起用されたし
時代劇、現代劇を問わず、日本映画の重要な脇役として
「忠臣蔵」「怪談」「黒部の太陽」「華麗なる一族」と
彼は無くてならない存在であった。

此れは私の妄想だが、
彼は関西大学の英文科を専攻していたはずだから
もしアメリカに渡り「七人の侍」のリメイク「荒野の7人」に
ユル・ブリンナーの代わりに出ていたら恐らく
早川雪舟以来、三船敏郎以上の国際俳優に成っていたかも
知れないと思うのだ。

人気女優をマドンナとして毎回出演させていた
シリーズ「男はつらいよ」は、又往年の名優を
引き出すのも監督・山田洋次は得意であった。
志村喬も寅次郎の義父役で
第一作から登場、その渋い演技は渥美清の笑いと
良いコントラストを成していた。

TVでも向田邦子の「あ・うん」(1980)で
フランキー堺、演じる水田仙吉の父親役は
彼自身、既に体調を崩してから(肺気腫)の出演であったが
放蕩の果て晩節の男の悲哀を身体から滲ませて
流石の存在感であった。

此の様に、彼の出演した作品は日本映画の黄金時代
共演した沢山のスター達が夜空の星となっている今
彼は地味だが、その中でも
ひと際輝くスーパー・スターと云って良いだろう。

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